ここ最近、旧ユーゴスラビア関係の映画を立て続けに見ていました。旧ユーゴスラビアに興味を持ち出したのは今年の初めからということ、メジャーでないのでDVDもビデオも見つけにくく、そんなに見ることがついこの間までできなかったが、最近になって送ればせながら"Amazon.co.jp"によりオンラインで簡単にサーチ&ゲットし、その便利さにいまさらお世話になっている。
エミール・クストリッツァ監督『パパは、出張中! OTAC N'A SLUZBENOM PUTU(1985年)』、『アンダーグラウンド UNDERGROUND(1995年)』、アデミル・ケノヴィッチ監督『パーフェクト・サークル LE CERCLE PARFAIT(1997年)』といったところ。すでに見ていて、多分ここにも書いた、『ノー・マンズ・ランド』、『ウェルカム・トゥ・サラエボ』も含めて、ボスニア・ユーゴスラビアを扱っている映画は殆どが高いクオリティとその悲しい事実から有無を言わさぬ静かな説得力を放っている。
作為的な演出が過ぎ、鼻につく『ウェルカム・トゥ・サラエボ』以外は一般の映画ファンにはあまり知られていないだろう監督の手によるものだが、どれも戦争というテーマ、(自分たちの手によって)失われた母国への思い、そして悲惨な状況だからこそよりどころとなるユーモアに驚くべきセンス・構成力と輝きを感じずにはいられない。(ちなみに『ウェルカム・トゥ・サラエボ』はユーゴと何のつながりもないマイケル・ウィンターボトム監督)
これは他人事ではない問題でもあって、なぜマイケル・ウィンターボトムが面白くないかというのは、今年からサラエボでプロジェクト・制作を開始した僕自身にも降りかかってくる。当事者でないものはどうしてもよそ者に過ぎないのか?説得力、イメージの喚起力を持ち得ないのか?そんなことも考えたりもする。それでも気になってしまうサラエボにはどこか魅力があるんだろう、やっぱり。



