自分でハードル上げ / サステナブル

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ブログはしばらく間をあけてしまうと、自分で次の記事のハードルを勝手に上げてしまって書きにくくなるな... 三週間も更新しないほど、常に忙しかったわけではないのです。そこそこです。なので、これ以上ハードル上げないうちに書いてしまおうかと。

結局修了制作について、まとまってるとは言えませんが、いろんな事と断片的に繋がって、でも連続はしていない。でも継続と持続はしている。そんな具合です。

去年の「サスティナブル・アートプロジェクト 2005 言の伝え」の公開ディスカッション(→言の伝え: 公開ディスカッション)の際、会場の方から

展示されている作品のどれを見ても「サスティナブル・アート」らしいものがないのだけれど、どうしてか?

と言った質問がなされました。その時僕は少し熱くなりながら答えたのですが、その時の事を思い出しながら、もう一度整理して少し書いてみます。

まず、サステナブルということについて。以前ちょっとだけ調べたものがあるので、全然ピンとこない人はまずそちらを。
(それと「サステナブル」と「サスティナブル」の表記について。僕個人としては「サステナブル」の方がしっくり来るのですが(もしくはサステイナブル)、2004年にプロジェクト「言の問い」が「サスティナブル」として始まったので、プロジェクトとして書く時はそちらにします。表記揺れ、そのままですみません。)

1992年のリオ地球サミットで用いられてから、環境を考える上でのキーワードとしてよく使われるようになりましたが、決して「サステナブル=エコロジー」ではありません。いわゆる"fast food"的なものを「誰でも何でも交換可能、代替可能」なものと捉えた場合の、それに対する存在としての"slow food"的と考えてもいいかも知れません。(この辺はもっと詳しく丁寧に考えなければいけないけれど)

「サステイン / sustain(下から-保持する)」から"サステナブル / sustainable"というのは、本来の意味においては、「維持できる、持続できる; 立証できる」というところまで。
「地球」を維持、持続するため、

  • 学者は、分析と警告、対策の技術的立案
  • 政府は、それを実行する社会システムをつくること
  • 哲学者・倫理学者・教育者・芸術家は、そのシステムでの役割に誇りを持たせるように

その役割が交換不可能、代替不可能な世界を考えるキーワードとして、「サステナブル」が用いられているのだと僕は考えます。

大勢の人が参加、運営している「サスティナブル・アートプロジェクト」の中で、それぞれが考える「サステナブル」も様々なレベル、かたちがあります。リユースされるセキスイハイムM1, MR、修了・卒業していく院2生、4年生、初めて学校の外へ作品を提示する3年生。専攻、学年を越えて、地域と進められる共同プロジェクト自体が芸大の授業も兼ねているので、学生が学校を出たあとに「作家」として続けていけるだけの何か(スキル、モチベーション、自信、コミュニケーション能力... など)を得るヒントを掴むための「サスティナブル・アートプロジェクト」。僕はそう考えています(いました)。
関係の中で、環境の中で、ちゃんと作品制作を続けていける事が一番の「サステナブル」であり、そこで出てくる作品は、「サスティナブル・アート」らしいかたちをしている必要はありません。

その上でART遊覧での白坂さんの

その半面、この地域と関係をもつのが在学中の期間だけかもしれない学生たちにとって「サスティナブル」というテーマは、自分たちにとっての、あるいは作品にとっての必然性においても悩むところだったよう。運営に時間を割かれて、オープンに間に合わなかった作品もいくつかある。「ワーク・イン・プログレス」といえばそれまでだし、お客にも理解してもらえるのならとも思うのだけど、でもこの先つらくなるのは自分だとも思うのでがんばってほしい。もちろん中村政人、保科豊巳助教授陣は、プロの作家としていろいろ乗り越えてきているわけだけど、学生にとってはそのことが気がかりだった。

ART遊覧: サスティナブル・アートプロジェクト2005「言の伝え?町も人を見つめる?」

という言葉にはきちんと向き合わないといけないのは確かです。

若い作家たち(学生たち)は結局のところ、満足感を得られたのか?
それで作家としてやっていけるのか?

修了作品の制作過程において、考えていたことの一つはやっぱり自分がこれから続けていくためのその「何か」だったように思います。

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自分にとってブログというのは、やっぱり論文的な完成度よりも思考や興味、展開の過程が表れてくるところが面白いと思うので、あまりハードル上げすぎないうちにやっぱりどんどん書くしかないかなと思って、筆をとった次第であります。
まだ頭の中にあるのに、吐き出されてないこともたくさんあるし、それぞれはバラバラなようでいて、実は関わっているのか、やっぱりバラバラなままなのか。アウトプットしてから、関連性を自由に考えていく方が自分には合っているようです。

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This page contains a single entry by Kei published on March 20, 2006 3:07 PM.

修了制作作品「Baci di Dama」について was the previous entry in this blog.

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