嘘つきアーニャの真っ赤な真実

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「ヤースナも亡命を考えることがあるの?」
ヤースナは頷いた。
「でも、私にはボスニア・ムスリムという自覚はまったく欠如しているの。じぶんは、ユーゴスラビア人だと思うことはあってもね。ユーゴスラビア人を愛しているというよりも愛着がある。国家としてではなくて、たくさんの友人、知人、隣人がいるでしょう。その人たちと一緒に築いている日常があるでしょう。国を捨てようと思うたびに、それを捨てられないと思うの」
「ねえ、ヤースナ、カレメグダンの公園て、ここから近いんだよねえ」
「うん、行こう」

嘘つきアーニャの真っ赤な真実/米原万理

冷戦時代のプラハのソビエト学校で小・中学生時代を一緒に過ごしたギリシア人のリッツァ、ルーマニア人のアーニャ、ユーゴスラビア人のヤスミンカ(=ヤースナ)を翻訳家でロシア文学者の米原万理が訪ねる。

各国の共産党員や政府の重要なポストについている親の影響か、こどもながらに共産主義の理想への陶酔も反発も故郷への郷愁もそれぞれに強く感じていた彼女らが、子供を持つ大人になり、ソ連=東欧が崩壊していく中どう変わったのか、あるいは変わらなかったのか。

ビクトル・エリセの「エル・スール」で、盲目的に愛していた父親に知らない女性の影があるのを知ってしまった主人公の少女が、その女性の存在をきっかけに大人になっていくように、こどもの頃知らなかった共産主義の理想に隠れた一般人の生活の様子や、自分と自分の家族の生活のリアリティの中で国家、民族、家族への思いは変化していった。

「たとえば、ルーマニアの母国度は今や10パーセント以下と言うアーニャの心根は、国土を長く持てなかったユダヤ民族の歴史と連なっている気がするし、あなたの言葉遣いの美意識は、チャウシェスクにソックリ」と喉元まで出かかった言葉をのみ込んだ。

カレメグダン公園は美しい白い都ベオグラードにあり、ドナウ川とサバ川に望む美しい公園なのだけれど、オスマン帝国による侵略以前からの戦争の歴史をもつ砦でもあった。

エミール・クストリッツァの「アンダーグラウンド」に出てくる動物園はその公園の外れにある。

「エル・スール」の父と祖父家族の断絶の背景にはフランコ政権時代のスペインの動乱がある。

白い都ベオグラードは今でも古いヨーロッパの美しい街並みを保っているが、大きな建物はNATOの爆撃による破壊の後が生々しく残っていて、ホテルやレストランの生真面目な調度もよく見ると所々綻びがある。

米原万理さんが亡くなられました。
「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」をまた読み返してみようと思います。

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