August 2003 Archives

サラエヴォの友人/また来年

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ついにサラエヴォ出発。到着した時建て始めていた近所の家もどんどん出来上がってきている。大人の男達はみんな上半身裸で朝から働いている。そして今日も何も変わらず陽射しはとても強く、暑い。

ティノ&ミヒャエルに空港まで送ってもらう。ベヒコ&アデラ&シェイラ&アディスともお別れ。

サラエヴォ空港は清潔だがとても小さい。バーのビールは外に比べかなり高い。

p.m.3:05 予定通りサラエヴォ・ブトミル空港出発。

p.m.3:52 ブダペスト着。空港のショップにてトカイワイン、ウニクム、フォアグラなど買うが2年前来たときに、ブダペスト市内で買ったときに比べやはり高い。フォアグラの缶詰なんてスーパーで嘘みたいに安かったのに。本当は今回もブダペストに滞在したかったのだが...また来るとしよう。

p.m.6:12 ブダペスト発。

p.m.7:37 ローマ着。パスポートコントロールが厳しいというか、手際が悪く、1時間以上待たされる。もう2時間も待っているという人もいた。9時をとっくにまわった頃、インフォメーションにて安いホテルを紹介してもらい、10時半頃やっと着いた。

和平安定化部隊 SFOR の病院に入院

昨夜(というか今日未明)和平安定化部隊"SFOR"のドイツ野戦病院に運ばれた大地君の様子を見にティノ、フィリップとSFORまで行く。さすがに中に入るにはチェックと確認が多い。病院まで、施設の中を少し見る事が出来たが、軍事施設なのでさすがに撮影は遠慮した。大地君は今日退院するのは無理だが、明日なら出れるかも知れないということなので、明日の午後またティノが来る事に。入院費の900KMを立て替える。

昼、Bowling Alleys をハッセルで撮影し、ランチを食べようと大通りに出ようとしたところ、まだ残っている3人と粟田君たち3人とにばったり遭遇。サラエヴォは小さい町なので良く知っている人に会ったり、見かけたりする。

またスーパーの肉売り場に仔牛の頭を見に行くと、売ってなかった。店員が覚えていてくれて、"ごめん、今日は頭置いてないんだ、明日ならあるよ!"といってくれ、何だかうれしかった。

ベヒコ宅と家族を記念撮影。日本にもって帰るシャベルを梱包。

サラエヴォ最後の夜は残っているみんなでお気に入りのイタリアンレストラン"CURRY"にて食事。ここはサラエボ、クロアチアで一番うまいと思っている。

来年に向けてのミーティング

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朝から昨日のミーティングの続き。みんな来年以降のことにやる気は満々だが、話しはまとまらない。

郵便で送るための荷造りをして、掃除。その後、外出。今日も暑い。

プロジェクトもミーティングも終わるともうサラエヴォですることが別に無くなってしまい、無気力になってしまう。

centar で倒れてから寝込んでいた大地君の体調が全然良くならないので、深夜急遽車で病院を探す事に。

起きたフィリップに寝袋を借りてやっと少し眠れる。

午前中はそこのレストランの子達とバレーボールのリレーをして盛り上がる。カウントを英語、フランス語、日本語、ボスニア語で。一番長く続いたのは日本語のときで26回。

オランダ人4人とフィリップは裸で日向ぼっこをしながら、碁をさしている。

その間、残りのメンバーで、プール、絶景ポイントまで出かける。

帰りのバスステーション近くのレストランにて5時頃遅い昼食。値段は高めだが、猿、孔雀、犬に猫とガーデンに沢山いてなかなかにぎやかな面白い店だった。坂田君は年齢こそ違うが、誕生日が同じ!話をしていたらまたバスを乗り過ごす。(何度目?)

日本からの(うれしい)刺客?

部屋を掃除。キャンセル待ちをしていたローマまでのチケットが取れた。

夕方からまた、滝のある山まで行くことになる。紆余曲折を経て夜11時過ぎにどうにか辿り着く。(1.バスステーションを間違える 2.バスに乗り遅れる 3.タクシーで途中まで向かうが、運転手が2,3度道を間違える 4.街灯なんてもちろんない山道を2時間弱ほど歩いて登る)

辿り着いてすぐ、ティノとミヒャエルと彼らが町であっら日本人3人(粟田君、坂田君、可奈子さん)が新たに到着、合流する。粟田君は僕らのプロジェクトの事を知っていてそれで展示を見に来てくれたらしい。そういうのってうれしい。寝袋を持っていないので、眠くて寒くて寝れず、明け方くらいまで苦しむ。

昼間、オスロボジェーネ新聞社~バシチャルシア少し先のトンネルまで。戦時中の東西の前線だったところ。オスロボジェーネ新聞社も今では改築を進めて新しくきれいにしている最中。

オープニングパーティは不安もあったが、メディアに、近所の人に、プロジェクトに協力してくれた人達とたくさんの人が来てくれて結構盛り上がって良かった。こっちで用意した中華料理も"チャイニーズ"と言う事で最初は敬遠していた人も多かったが、みんな食べてそこそこ満足したみたい。いろいろなレベルでコミュニーケーションもとれてなかなかの成果。

ホリデイ・インのカフェにて1ヶ月いて初めてボスニアのオリジナル・スウィーツを食べる。全粒粉のパイの中に胡桃が入って、シロップをかけた物。美味しかったが名前は覚えられなかった。

アクセスではビールを飲みすぎる。1時過ぎ、アクセスから帰る際、オランダ人達とサンと途中の高層住宅の最上階まで潜入してみる。エレベーターのボロさが怖い。

搬入日

搬入、展示。イメージしていた壁面のスペースと少し違って締りが悪い。満足のいくインスタレーションになっていないので絶対日本でリベンジ。

フィリップが折り紙にすごいはまっていて、テキパキ準備したりとうきうきしている。

サンは作品として、マッサージをしているところを取り上げている。そういうのは外国人受けするみたい。

岩井君が帰国。

ボスニアの激流下り

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朝から"RAFTING TOUR"。フィリップ、エロディーらとバスで出かける。高低差のある"激流"と呼べるところはあまり無いが、自分達でパドリングをして水のきれいな川を下っていくのはなかなか楽しい。川の上流の方は水をそのまま飲めるし、服のまま飛び込んで泳いだ。久しぶりにクロール、バタフライ、背泳ぎなどする。川の流れに逆らってはさすがに進めない。昼は川原で肉、パプリカを焼いてナンではさんで食べる。渓谷は、ありきたりな言い方だが自然の造形のすごさを思い知る。人の手があまり入っていない自然の中に入っていくと、国の違いはどんどんなくなってきて、中国にいるようにも見えてくる。

明日、搬入のため準備。環境が環境なので万全のインスタレーションにはならないのが悔しいが、そこは仕方ない。実際の作業はしてきたが、プロポーザルという形で出す事にする。日本に帰国してからの展示では"プロポーザル"を外して作品とするつもり。

お湯が出るのをずっと待っていたが、いつまでたっても出ないので、3日ぶりに冷水でシャワーを浴びる。サラエヴォの水道水はなぜか他の国より冷たく感じる。ドイツ人たちの間では冷水でシャワーに入る事を"サムライ"と言う。こっちの人はちゃんとシャワーに入っている人でも体臭がとてもきつい。どうしたらそんな匂いになるのか不思議なくらいだ。チェバピのせいか?

サラエヴォ・フィルム・フェスティバル最終日。結局1本も見ずに終わった。centar の会場辺りの雰囲気を少し味わった程度。見たいものもあったが人気ある作品はチケットがすぐ売り切れるので入手できなかった。

3週間ぶりのエディンと、ダミエル、エロディー、草平、大地君とcentar まで飲みに行く。エディンはダミエルや他のボスニア人と違って機転の利く面白いキャラなので、ボスニア-ドイツ、ボスニア-東京間のビジネスを立ち上げよう!なんて話で盛り上がる。

家に戻ると大マッサージ大会になっている。東洋式のたたくマッサージだとか、肩叩きの唄がサンやフィリップには面白いらしい。

ジプシーの子達の笑顔

ドイツ人達もどうやら今年と来年以降のプロジェクトに長期的に関わるやる気を見せてきた。カタログ、ドキュメントは終了後エロディーとウィレムがまとめるようだ。

岩井君の巣作りを手伝っていたら、ジプシーの姉弟が興味を持ってやってきた。金はあげなかったが、ゴミを集めてくれたり手伝ってくれた。いつも悲しそうな顔をしている彼らの笑顔を見たのは今回初めてだった。

上松と一緒に2時間ちょっと作業。

骨を掃除し、また焼く。

午前中、ローマへの飛行機のチケットを旅行会社に調べてもらうが、8月いっぱいフルなので、31日のブダペスト経由ローマ行きの便をキャンセル待ちのリストに載せてもらう。

昼食はまた中華レストランのランチ。7KM。ウェイトレスのボスニア人の女の子が前歯抜けていてかわいい。本人はとても気にしているらしく、あまり口をあけないようにしゃべるところとか。

ティノとミヒャエルにもらった牛の足を料理。ビネガー、にんにく、生姜、玉ねぎ、塩、オレガノ、胡椒、チリ、醤油。ホット&サワーなアジアっぽい味に。なかなか好評。

炎天下での作業

昼食をはさんで2時間ほど作業。炎天下の下で暑さはきついが仕事はわりと進み、手の入っているところと、いないところの違いは視覚化できてきた。ただ地面自体が土というより石という感じなので、作業にきりが無い様に感じもする。石を拾い、掻き出し、均しても次の石がどんどん出てくる。その辺の無謀なところもうまくビデオを編集して出てくればいいが。サラエヴォにいる間には機材や時間の事で出来ない分も含めて展示、インスタレーション方法についてのイメージは少しずつ出てくる。

日中炎天下の中に長くいると、一日全身がだるくなり、動くのが億劫になる。昼寝もするようになった。

BUREKもいい加減飽きてきたかも。しょっぱい。チェバピのほうがジューシーな分だけうまい。

午前中から天気があまり良くないと思っていたら、昼過ぎから久しぶりに雨らしい雨になる。

夕方から自分の work へ。今日は、坂根さん、大地君に石拾いを手伝ってもらったので、見てわかるくらいに進む。しかし、夕方は意外と人通りも多く、結構注目を集めてしまったので、毎日続けるのは少し時間帯など考える必要がある。

上松が地雷が埋められているらしい危険地帯にて作業をしようとしていたところ、ダミエルに発見され、命の危険について厳重に注意を受ける。ずっとサラエボにいて当たり前になってしまっていることで、その辺の危機意識は甘くなっていたかも知れない。

ボスニア・ヘルツェゴビナのナショナル・ギャラリーを見る。どこかで見たような作品も多いのだけれど、ペインティングからインスタレーション、ビデオインスタレーションなど幅広く作品は揃っている。好きな作品もいくつかはある。新しめのペインティングにいいものがあった。

全裸で出発?

a.m.5:30 から岩井君のビデオを撮影。全裸で家からの出発なので、早朝にゲリラで決行。昼間みんな相当にヒマそうなくせに早朝から歩いている人や車が多くてカメラを構えている方も緊張する。服の形に全然なっていない状態の時は本当にやばかった。途中近所の通報により警察に事情聴取される。パスポートの提示も求められたが、持っていず、住所を聞かれたりと一時は"逮捕"、"強制送還"も頭をよぎったが、危害を与えるようなものでないと気づいてくれ、最後はフレンドリーに記念撮影もして別れた。その後 centar までどうにか辿り着き、終了。

ジャンク・マーケットにて大きいシャベルなど道具を購入。全然英語通じないので、こっちも普通に日本語でやりとりをする。その後岩井君の針金と角材を探しに2,3件はしご。

制作開始

"Sarajevo Bowling Alleys"開始。自分でたてたプラン、選んだ場所ながら、かなり無謀な途方もないプランだという事を身を持って知る。暑さ、陽射しの強さがハンパじゃない。大きい石を拾い、取り除き始めるがきりがない。土もカラカラで石のようになっているので本当にフラットにできるかどうかかなり疑問。だがずっと動いている映像をうまく編集したり、時間かけている内にだんだん平らに近づいていく感じがわかれば、一人で過酷な作業であがいている感じが出れば面白くなるかも。ただ、サラエヴォにいる間はじっくり編集できないので"access"での展示はまだまだ考える必要あり。

サングラスなくした。この国では少しの時間でも忘れ物をすると、まず確実に出てこない。親切にとって置いてくれたり、届けてくれる事はまずない。何をやっても目立ちすぎるのにうんざり。

「髪」の字の構成

a.m.3:52 サラエヴォ バスターミナル着。サラエヴォを空けている間にサラエヴォ・フィルム・フェスティバルがスタート。日本からの参加作品を見逃す。サンと大地君が合流していた模様。

ウィレムに漢字の意味、成り立ちの話をしていたら、かなり驚いていた。自分でもあらためて確認してみると面白い。「髪」は、長い・水の・友だとかね。

魔女の宅急便の街

朝6時くらいからビーチに人が来ないうちに4人で上松のパフォーマンスの手伝い、撮影をする。ユースのひどく質素な朝食の後、昨日と同じビーチに行って今度は戸田さんのパフォーマンスを開始。ゆっくり時間をかけてやるらしいので、旧市街の方へ歩いていくことにする。近くの島にはヌーディスト・ビーチもあるらしい。ここのビーチは普通のビーチだけどトップレスの人も少しいる。

旧市街まで炎天下を歩き、ランチを食べる。オクトパスのサラダ、ムール貝のリゾット。美味しいけれど高い。イタリアとあまり変わらない値段。

ドブロブニクは今回の旅の中では一番南だけあって、かなり暑く、陽射しが強い。ちなみにドブロブニクの旧市街は宮崎駿の「魔女の宅急便」のモティーフになったらしい。

手持ちのクーナ(クロアチアの通貨)もつき、ドブロブニクも飽きてきたので、ビーチの近くでボーっとする。本当はもう1泊したかったのだが、ユースも、市内のほかのホテルも空室がないらしいのでまた夜行バスにてサラエヴォに帰る。クロアチアの祭日で、週末、夏休みなので町中かなりの人の数。

p.m.10:30 ドブロブニク発。今回はボスニアに入国する際のパスポートチェックはひどく簡単。

a.m.3:43 ドブロブニク着。こんな時間にバスを降ろされても困る。ユースの前で少し寝る。

ドミニクさんという人と知り合う。ロンドンに住んでいる音楽家の方で、尾道に3ヶ月、その後高円寺とあわせて日本に1年ほど住んでいたことがあるらしい。丁寧な日本語で話しかけられてびっくりした。話す事と、かなの読み書きはどうにかできるが、漢字は難しいのと数が多いので大変だそうだ。広島風お好み焼きがとても好きだけど、もんじゃ焼きは見た目が美味しくなさそうなので食べた事はないようだ。日本人と日本語で話せてとてもうれしそうだった。...という事は、逆の立場で自分がもっと英語を話せたらもっと外人と話をするのが楽しいだろうと言う事...

バスでLAPADというビーチへ。シーズンの海に来る事なんて小学生のときの葉山以来で久しぶり。戸田さん、上松は楽しそうに泳いでいる。アドリア海はヴェネツィアの時よりきれいらしい。その間ずっとビールを飲んでいたら、夏バテ?暑くて完全にまいった。ユースに戻り、夜10時くらいまで寝て、どうにか動けるようになる。なのでこの日はほとんどドブロブニクの町の様子を見れず。

サラエヴォ、ボスニアに限った事ではないが、不愉快な奴は必ずいる。我々に理解を示してくれ、よくしてくれる人たちがいるだけなおさら、怒りとともに失望を感じる。コミュニティに本当に入り込もうとする事は難しく、精神的にとても疲労する。

p.m.10:30 バスにてサラエヴォを出発。クロアチアはドブロブニクに向かう。2時頃国境でのパスポートチェックに引っかかり、いくつか質問を受ける。列車で入国する際にボスニア側の担当官がスタンプを押さなかったのでその辺が引っかかっている模様。

昨日の取材がうまく編集されてニュースの中で放送されていた。1日5回流れるらしい。

今日は特に外出はせず、牛肉を煮込むのと、坂根さんのワークショップの記録、昼のスパゲッティのためのソースつくりなどをする。仔牛の頭は鍋に入りきらないのではみ出てしまっている。

1日煮込んでいると、肉はほとんど柔らかくなって骨離れがよくなっている。脳も試食する。白子に似た食感。羊の脳に比べるとあっさりとしている。にんにく、パプリカ、玉ねぎに赤ワイン、バジル、オレガノ。

今日は満月。東京よりもちろん月も星もクリアーに見える。あまり詳しくないのでどれが何の星座かわからないのが惜しい。カシオペア座らしき星群はわかった。サラエヴォは二手の山に囲まれた(挟まれた)町なので、実は夜景もきれいなのだ。

深夜まで煮込んでいると、さすがに頭の骨も継ぎ目からバラバラになってくる。少し前までは牛の頭部の形を残していたものが、はずれてくるとただの骨と肉になる。人間にしてもそうなのだろう。一つの存在だとか、命だとかそれは大きいものだけど同じくらいもろくてあっけないもの、そんな感じがした。

プレス・カンファレンス。

centar の本屋にて"FAMA"のサラエヴォ・サヴァイヴァルガイドを発見、購入。激戦地マップも。スーパーにて仔牛の頭を買う。皮を剥いだだけで、眼も睫も舌もそのまま残っている。

5時過ぎから岩井君と草平に手伝ってもらい、仔牛の頭の解体を始める。撮影もする。もちろん3人とも初めての経験で、思ったようにはバラせない。自分が食べるものを自分でバラす事は簡単なことではないが、見たくない部分、汚い部分をしっかりと確認、体験するというのはとても意味のあることだと思う。誰かがいつもやっているのだから。

一緒にいるドイツ人達には直接は見せないようにしていたが、バラした後にオーブンでじっくり焼いてから食べた肉塊や映像にかなりひいていた。誰にとっても刺激の強い、ショッキングなものであるのは確かなのだが、それの受け止め方は日本人とドイツ人でかなり違う。ベジタリアンだからだとか、捕鯨がどうとかも出てくるが、論点の違いをものすごく感じた。

作品の形にするかもしれないが、形態だけでなく場所や影響も十分に考える必要はある。子供達に無理に見せたいものではないから。

いつも通らない川沿いの遊歩道を歩いている途中、ボーリングレーンにふさわしいロケーションを見つけた。新しいMUSEUMを建設するための土地らしいが、予算の都合か囲いもせずに放っとかれているので、勝手にそこに自分のプロジェクトを展開する事にする。レンゾ・ピアノの事務所がどうやら関わっているらしい。荒れ具合もよく、十分に広い。ただ直射日光がきつい。

p.m.4時過ぎに、草平、ダミエルがプロジェクトを代表してTV出演。リビングにてみんなで見る。プロジェクトについて簡単なインタヴューを受ける。 8時からミーティングだが、時間通りに集っているのはダミエルと日本人だけ。そのせいで苛立っているダミエルにこっちも不愉快になる。日本の便利さ、何でも揃う環境からあえて1ヵ月離れてみるのも悪くないかなと思っていたけど、あまりそうでもなくなってきた。

サラエヴォからオロヴォへ

フィリップ(医学専攻)が毎朝やっているヨーガ5ポーズを教わる。庭の芝の上でやると気持ちいい。みんなが覚えられるようにポーズと動きを芸大組が図にしてリビングの壁に貼る。

6時頃から車でダミエルの実家のある Olovo へ。1時間強くらい。"FESTIVAL FOLKROLO OLOVO"というのをやっていて小さい町だがかなりの人が集ってきている。全然小さい町なのでサラエボ以上に日本人は珍しいらしく、じろじろ見られたり"キナ"、"チャイニーズ!"と言われる。ここでも子供達は好奇心に素直なので、すぐに打ち解けて仲良くなった。

ダミエルの家でママの手料理をごちそうになる。ボサンスキ・ロナッツ(肉じゃがをスープにしたような感じ。やさしい味。)、ヨーグルト、ブルーベリーとクリームチーズを混ぜたものなど。サラエボの街中みたいに肉料理ばかりではなく落ち着く、栄養のバランスの取れた、日本人にもなじみやすい食事でとても美味しかった。ごちそうさま。

オロヴォは激戦地だったらしく、ダミエルの家の壁にもたくさんの銃弾の痕がある。周りには破壊されたままの家や建物がたくさんある。

みんなと朝食や出発のタイミングを合わせていると家を出るのが昼になってしまうので、9時過ぎに一人で出かける。旧市街バシチャルシアの方から少し丘の上の方へ上る。墓地。宗教の違いだろう墓碑の形のタイプが大きく2種類ある。その後、丘、高台を歩く。なんだかわからないけど、いい大人が何をするでもなく道端にたむろしている。一人でそこを通るのは少し怖い。

昼はバーガーキング(HAMBY KING)で、ワッパー&ヨーグルトを買って家で食べる。サラエボにはマクドナルドはない。

ドイツ人2人ティノとミヒャエル増える。

自然公園

7人くらいで中心部から大分離れた山のふもとへ。自然を見せる感じの公園になっている。馬車、温泉なども。ただ、人間の手が入りすぎ。一日のんびりして過ごす。昼は久しぶりにチェバピを買って食べる。マスタードとパプリカがよく合う。なかなかうまい。

人数が増えて部屋が狭くなってきたので食事とかかなり大変。電気コンロは弱いし、準備に時間かかるし、早く始めないと優先権の争奪が激しい。

プロジェクトのタイトルもほぼ決まり、ポスターデザインも固まってくる。

一番欲しいのは、英語力

a.m.11:00 過ぎからメンバー全員でミーティング。プロジェクトのオフィシャルなタイトルを決める事、各自の現時点でのプランを発表。タイトルは結局決まらない。こういうちゃんとプレゼンしないといけないときは、自分の英語力不足を痛烈に感じる。

午後、大きいショッピングセンターに行って、道具や資材をチェックする。こっちでも金さえ出せばいろんなものは手に入る。ただドイツなんかの他の進んでいるヨーロッパの国と値段はそんなに変わらない。サラエボの普通の人たちは買えるんだろうか?

サラエボでやるプロジェクトがまだピンと来ない。日本で考えていた"Sarajevo Bowling Alleys"ももちろん考えているんだけど、サラエボに実際に来たからこそひらめいたプランが欲しくもある。まだ一週間くらいだから無理に決める必要はないが、少しあせってきてもいる。何か面白い事ができるだろうか?

オランダ人がシャワーに入ってる

p.m.1:30 にみんなで exhibition を行なう"ACCESS"に向かう予定だったが、ドイツ人達も日本人の女の子達も全然動き出そうという気がない。みんなスタートが遅い。

ぶらぶらした後、一人で8時くらいに帰ってくると近くでかくれんぼしていたシェイラとセルマが家まで先導してくれた。

食後、ドイツ人達とお互いの言葉を練習しながら盛り上がる。ウィレム(オランダ人)がかなりテンション高くて面白い。この前の時に教えたらしく"アイーン!"とか"ギャフン!"とか"助けてー!オランダ人がシャワー入ってる!"なんて言ってる。笑いすぎておなか痛い。

街を歩いているとたまに中国人に間違えられ"キナ!"と言われる。そして中国人に対してはボスニアの人の反応はかなり冷たい。SARSの事もあるだろうし、共産主義のこと、難民の事とかかなり根深い問題が潜んでいる。

引越しお披露目パーティ

その電気の問題で近所のブレーカーが落ちたりと、地主の人と少しもめているらしい。ベヒコの家族だけお金をもらっている事への嫉妬もあるようだ。ボスニア後なので全くわからないが、かなり厳しい事を言われているらしい。これは日本人のうちらだけでなく、ベヒコの家族にも降りかかる問題なので、しっかり対処しないといけない。

夜、近所の人や日本大使館の人などを招いてパーティをする。肉じゃが、たこのから揚げ、ほうれん草(?)のおひたしなど。(そのために食材、調味料を用意しなくてはいけなかったので市内の中華料理店でランチを取りながら、坂根さんが中国語でいろんな話をしながら、干し椎茸、しょうゆ、味の素、割り箸などをただでゲット!謝謝!)

みんなに箸で食べてもらいたいので渡して挑戦してもらう。子供たちは"のみこみ"が早く、もう上手に使える子もいる。

デジカメで子供たちの写真を撮ってあげると、みんな集ってきて大盛り上がり。こういうときにデジカメは撮ったその場で見せられるから便利。ずっととっているときりがなくなってきたがたくさん撮った。

博物館、市場、ブレイカー

博物館結構面白かった。ボスニア語で何が書いてあるのか全然わからないし、特に珍しいものがあるわけでは無かったが、博物館の展示形態のこととか、経済的に苦しい苦になりの博物館維持・管理の事とか興味深い事が多かった。(特にサラエボだけに限った事ではないが。)

昼は中華。ヨーロッパに来てから、ほとんど野菜を摂取できないから、中華料理を食べると落ち着く。(プラハ、ヴェネツィアでも食べている。)

昼過ぎ町の中心部まで出ると、普通に人通りの多いにぎやかな町並み。でも、「恵んでくれ!」という子供や老人が多い。

3時過ぎにケバブみたいな肉料理とヨーグルト。(ブレクとかチェバピとかいろいろあるみたいだけど違いはよくわからない。)

雨が結構降ってくる。ヨーロッパ来てから雨らしい雨は初めて。

日本人が歩いているとやはりかなり珍しいらしくみんな注目するが、親切な人は親切。

ダミエルは熱心なムスリムなので、なるべく1日5回お祈りをするし、ビールは飲まないし、豚肉は食べない。

夜、市内から15kmほど離れたホテル"AQUA"にあるクラブのパーティに草平、岩井君と行く。草平が知り合ったボスニア人2人の車にて。サラエボではあまりクラブの楽しみ方がわかってないだろう事もあって、"カラオケ"タイムばかりずっとやっていたりいまいち盛り上がりに欠ける。DJもどうやらいないらしい。岩井君と2人でぶりぶり踊って完全にフロアーの主役になった。毎週顔を出したら有名になるだろう。まだ残っていたかったが、3人が帰るというので3時半にはアクアを後にする。途中屋台でハンバーガーを買って食べるが、1.5KMと安いのはいいが、パンがかなり大きくて食べるのがかなり大変。サラエボ人の2人も食べないでちぎって捨てている。驚き。

とうとうサラエヴォだ

a.m.6:07 ザグレブ(クロアチア)着。サラエヴォ行きの電車まで3時間弱あり。周りの人の顔がもう全然違う。BUREKなるものを食べてみる。パイの中に挽肉が入っている。

a.m.8:58 ザグレブ発。同じコンパートメントで一緒になったカップルの男の方が何時間もひたすら彼女の耳元にしゃべり続けている。こんなによく話す男は初めて見た。

p.m.5:58 サラエボ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)着。長い道のりだった。郵便局で両替をしていると早速、戦災者らしいおばあさんに会った。

TAXIにてアパートメントに向かうともう管理人の家族とダミエルが迎えてくれる(岩井君も合流)。草平がなかなか来ないのでダミエルがとても気を使ってもてなしてくれるが、電車での長旅で疲れている事もあってかなりいっぱいいっぱい。やはり観光地でお店の人やホテルの人などを相手にしているのと比べ、言語の問題は精神的な疲労が違う。

草平とドイツ人二人(フロー、シビル)到着。

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