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  • 蓮の2000年

    Lotus

    先日の雨の三渓園。園内の池では蓮の花が咲き誇っていた。傘で視界を遮ってしまうのはもったいないくらい。

    flower at biennale何故かこの花を見て思い出したのは、何度も通った上野の不忍池の蓮ではなく、昨年のベネツィア・ビエンナーレの韓国館での Choi Jeong-Hwa の作品だった。

    ある作品を見て現実をイメージするのではなく、現実を見てある作品を思い浮かべる。それは逆なのか、正しいのかなんだかわからなくなってしまったが、生の花を見てビニールの花を思い出したのに気付くと不思議な体験のような気がする。

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  • 忍者タイポグラフィー

    Protectyaneck

    このジェネレータはなんかすごい…かも。英数字のみだけど、入力したテキストを忍者が書いてくれるアニメーションGIFで書きだしてくれる。上の画像をクリックすると忍者の活躍の様子が見れる。ウータン・クランもびっくりだ。

    それにしてもアニメーションGIFはまた流行ってたりするのだろうか?

    これなんて意味不明だけどヤバい。というかサバい。素敵すぎる。でかいアニメーションGIFをCSSで背景に使うのも面白いかもしれない。

    こっちはWEB上にあるアニメーションGIFを位置とサイズ指定してマッシュアップしてくれるんだけど、右メニューにあるサンプルがまたなんとも…"Dancing Gifs"とか。

    やっぱFLASHよりアニメーションGIFのほうが好きかも。

  • 逃げ去り滑り落ちるイメージ

    逃げ去るもの

    写真にはまりだした頃、「逃げ去るイメージ」、「手から滑り落ちていくイメージ」を定着させていく事に夢中になっていた。もちろんノーファインダーのスナップ。写していくものはだんだん自分が見ていなかったものばかりになっていった。フィルムに写っているものを自分は見ていない。

    どんどん何を撮っていいかわからなくなり、カメラは自分の作品、活動の記録にしか持ち出さなくなってしまっていたけれど、また写真を撮っていこうと思う。

    大体最初から撮りたいものなんてなかったわけで、撮りたいものは写ってなかったわけで。

  • 東京画 / イメージ / パッセンジャー

    東京画
    1985年 西独
    監督:ヴィム・ヴェンダース
    編集:ヴィム・ヴェンダース ソルヴェイグ・ドマルタン
    キャスト:笠智衆 厚田雄春

    (はじめに断りますがヴェンダース論でも作品論でもありませんので)

    「外が晴天だとなおさら悲哀が募る」
    小津がずっと舞台に選んできた東京の画"イメージ"、小津の"世界を透明にしうるまなざし"を追いかけてやってきた異邦人ヴェンダースの画"イメージ"。1983年の東京は小津作品のそれとは違う「傷ついた風景」だった。

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  • 立ち読み/スーザン・ソンタグ

    他者の苦痛へのまなざし
    スーザン・ソンタグ 『他者の苦痛へのまなざし』 2003年
    北條文緒訳
    みすず書房 ISBN 4-622-07047-2

    乱暴なのは承知で、ソンタグの言及について「解釈することによって、芸術を飼い馴らす」事が無いように、ぶつ切りで抜粋します。本屋にて立ち読みをするつもりでどうぞ。

    私たちの欠陥は想像力の、感情移入の不足なのです。私たちはこの現実を脳裏にありありと描く事ができないのです。

    どこかの国で起こっている惨禍の見物人であることは、典型的な現代の経験であって、

    人々は悲惨な映像が視野に放り込まれるたびに、同情し、憤り、卑猥な想像をかきたてられ、あるいは是認する。

    だが、確かにサラエヴォの人々には、海外でサラエヴォに背を向けている人々とは違う、もう一つ別の理由があって、

    彼女が非常な寛大さを示している外国人の怠慢は、何もすることができないという感情の結果でもあった。彼女が近くで起こっている戦争の、予告的な映像にかかわろうとしなかったのは、無力と恐怖の表現であった。

    海外の人々が恐ろしい映像を見せるテレビのスイッチを切るのは、例えば、ボスニアの戦争が止まないから、指導者たちがこれはどうしようもない状況だと主張するからである。人々の恐怖に対する反応が鈍るのは、どの戦争も止めさせることができないように思われるからである。同情は不安定な感情で、行為に移し変えられないかぎり、萎れてしまう。問題は、喚起された感情や伝達された情報をどうするか、である。

    僕らの活動は反戦を訴えるものでもなければ、ジャーナリスティックなものでもなかった。そして、「同情されるにふさわしいサラエヴォのイメージ」は、見つけようと思えばいくらでも見つけられるけれど、見物人である僕らには本当の意味でのリアリティは持ち得なかったと思う。

    では、「できることは何も無い」「われわれ」は「どうするか」?

    < この記事は以前"Web of Activities"に書いたものです。 >

  • 旧ユーゴスラビア出身監督の映画

    パパは、出張中!OTAC N'A SLUZBENOM PUTU アンダーグラウンドUNDERGROUND パーフェクト・サークルLE CERCLE PARFAIT

    ここ最近、旧ユーゴスラビア関係の映画を立て続けに見ていました。旧ユーゴスラビアに興味を持ち出したのは今年の初めからということ、メジャーでないのでDVDもビデオも見つけにくく、そんなに見ることがついこの間までできなかったが、最近になって送ればせながら”Amazon.co.jp“によりオンラインで簡単にサーチ&ゲットし、その便利さにいまさらお世話になっている。

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