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  • 2chとYoutubeで学ぶ音楽史

    Youtube上の音楽ムービー(演奏)を参考に出しながら、クラシック〜現代音楽までを大まかにだけれど、俯瞰して追うことのできる良スレのまとめ。

    なかなかよくまとまっているのでは。そんなに西洋音楽に興味を持っていなかっただろうオーディエンスをもだんだん「これは好き」「こういうのもあるのか」なんて反応を返してくるまで巻き込んでいる。これを機にジョン・ケージやクセナキスなんかに興味を持つ人が増えたら面白いと思う。そしてそのまま現代美術もすんなり入っていけるのでは。

    西洋美術史もGoogleイメージ検索やFlickr、Youtubeを使ってまとめたら、もっとイメージしやすくなるよね。
    自分でまとめるのは大変なので誰かに期待しつつ、以前まとめた”FLUXUSとその周辺@Youtube”を再掲。

    今は見られなくなってしまっているものも多いけれど、とりあえずそのまま(ナム・ジュン・パイク@11PMが見られないのは残念…)。がんばって探せばどこかで見られるかも知れない。見られないかも知れない。

  • フルクサスの共有財産

    一方、六十年代に多くの作家によって言葉で書かれたパフォーマンス(アーティストによる身体表現の総称)のスコアーは、現在、メンバーたちの共有財産同然になっている。このスコアーは、経済優先と著作権重視の社会において、フルクサスが残した、未だ枯れていない「神聖な泉」と言えるのではないだろうか?

    フルクサスとは何か? -日常とアートを結びつけた人々

    引用の冒頭の「一方」は、ジョージ・マチューナスがフルクサスの作家たちのコンセプトを具体化して作っていたマルチプルについての記述を受けている。

    一冊2,30ドルだったエディションが、彼が亡くなる直前には、250ドルになったと言って喜んでいた程度だ。それが彼の死後、市場ではその100倍以上の値がついていることを考えると、貧困のうちに世を去り、後になって作品が法外な価格で売買されていることを過去の多くのハイ・アートの作家たち、マチューナスが社会から排除すべき対象として攻撃した芸術家たちに、彼もまた、皮肉にも仲間入りをしたわけである。

    Youtubeで簡単に映像が見られるようになったつい最近まで、「フルクサス」と聞いてイメージしたのはまず、マチューナスによってデザインされ、パッケージングされた「キット」だった。そのいくつものバージョン、それぞれの中に含まれる小品の数々は「フルクサス」に集まった作家の作品やコンセプトをマチューナスが編集・デザインして社会に流通させようとしたものだ。

    「一方」によって、対称におかれているマチューナスのキットとパフォーマンスのスコアー。しかしその二つはやはり「フルクサス」らしい意味で共通している。

    (さらに…)

  • 簡単なフルクサス予備知識

    いきなり「フルクサス」や「FLUXUS」だの言ってもあれなので、ちょっと簡単にですが「フルクサス=FLUXUS」の予備知識をまとめてみます。

    フルクサスって?

    FLUXUS
    浄化、連続運動、流れる水、溶解、腸の洗浄…

    デザイナーで建築家でもあったジョージ・マチューナスが、「フルクサス的」と認めたアーティストを組織したグループ。とは言っても、グループの性格は作家を束縛するような○○主義あるいは一定の方法論を根底に持つものではないので、緩い共同体の中で、作家同士や作家とオーディエンス、批評家やコレクターなども巻き込んだ作品を展開していた。

    音楽出身の作家やジョン・ケージのクラス出身が多いこともあり、パフォーマンスが重要視され、それらは「イベント」や「ギャグ」と呼ばれることも多い。作品のいくつかは先に挙げたYoutubeで今すぐにでも見ることが出来る。

    実験音楽・サウンドアートというページではフルクサス関連音源のガイドも。

    また正確にはメンバーではないけれど、フルクサス自体に影響の大きいジョン・ケージの代表作「4分33秒」も参考に。(残念ながら当時のものではない)

    ビデオ見るのが一番早いです。

    (さらに…)

  • 1995年のフルクサス

    Studiovoice9504右は雑誌「STUDIO VOICE(発行INFAS)1995年4月号で特集は『フルクサス発 -インターメディア・アートの出発点から』。室井尚のテキストから中村さんによるザ・ギンブラート&新宿少年アートのレポートまで内容はとても充実している。95年といえば、日本のインターネットはまだ黎明期。「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書」の年表より当時の参考になりそうなトピックを抜き出してみると、

    1995(平成7年)
    01/01 日本IBMのウェブサイト開設。
    01/26 富士通「Info Web」のウェブサイト開設。
    03/02 米「Yahoo!」開設。
    03/20 オウム真理教による地下鉄サリン事件。

    という年。一部の大学や企業にいる人を除いて多くの人はインターネットに直接触れてなかった頃だ。この号の冒頭で室井尚はこう書いている。

    ハーモニアスな感覚統合しか目指さない「マルチメディア」や、等質なシステムの上に構築された「インターネット」が今の話題の中心である。だが、そこはフルクサスの「インターメディア」がもっていた大事なものが抜け落ちているような気がしてならない。あらゆる異質なジャンルの中に新しい組み合わせを作り出すこと、出会いを作り出していくこと、要するにハイブリッドでルートを欠いた軽やかな(そしてブルトン的な意味で「痙攣的」な)知をディジタル・メディアの中に導入していくことが必要なのである。その意味で今時代はフルクサスなのだ。

    ディジタル・フルクサスに向けて(STUDIO VOICE Vol.232 1995年4月号) /室井尚

    初めて「フルクサス」と名付けられたコンサートが開かれたのが1962年、インターネット黎明の1995年、そして現在。インターネット状のコンテンツがどんどん拡大していく2006年に、一体フルクサスから何を学べばいいだろうか。

  • Youtubeで見られるFLUXUSとその周辺

    新しいメディア/フィールドとクリエイティビティ、社会との関係性を考えてみるために、FLUXUSを参照してみるのはいつだって有効なように思う。
    まずはYoutubeで見られるFLUXUS関係のビデオをリストアップ。11PMでのナム・ジュン・パイク特集なんて特に面白いので是非。

    フルクサスとは何か? -日常とアートを結びつけた人々フルクサスとは何か? -日常とアートを結びつけた人々
    塩見 允枝子 (著)

    今までもフルクサスは多くの展覧会や雑誌の記事などで取り上げられてきたが、実際にフルクサスの中でジョージ・マチューナスらと一緒にイベントをしていた作家自身の日本語によるテキストとして、昨年発行されたこの本は重要。オノ・ヨーコやヨーゼフ・ボイスに引っ張られない当時の記述はとても興味深い。

    この本からFLUXUSとアーティスト、クリエイティブ、作家性などについて少し考えてみます。