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  • サラエヴォからオロヴォへ

    フィリップ(医学専攻)が毎朝やっているヨーガ5ポーズを教わる。庭の芝の上でやると気持ちいい。みんなが覚えられるようにポーズと動きを芸大組が図にしてリビングの壁に貼る。

    6時頃から車でダミエルの実家のある Olovo へ。1時間強くらい。”FESTIVAL FOLKROLO OLOVO“というのをやっていて小さい町だがかなりの人が集ってきている。全然小さい町なのでサラエボ以上に日本人は珍しいらしく、じろじろ見られたり”キナ”、”チャイニーズ!”と言われる。ここでも子供達は好奇心に素直なので、すぐに打ち解けて仲良くなった。

    ダミエルの家でママの手料理をごちそうになる。ボサンスキ・ロナッツ(肉じゃがをスープにしたような感じ。やさしい味。)、ヨーグルト、ブルーベリーとクリームチーズを混ぜたものなど。サラエボの街中みたいに肉料理ばかりではなく落ち着く、栄養のバランスの取れた、日本人にもなじみやすい食事でとても美味しかった。ごちそうさま。

    オロヴォは激戦地だったらしく、ダミエルの家の壁にもたくさんの銃弾の痕がある。周りには破壊されたままの家や建物がたくさんある。

  • バーガーキングでヨーグルトを買う

    みんなと朝食や出発のタイミングを合わせていると家を出るのが昼になってしまうので、9時過ぎに一人で出かける。旧市街バシチャルシアの方から少し丘の上の方へ上る。墓地。宗教の違いだろう墓碑の形のタイプが大きく2種類ある。その後、丘、高台を歩く。なんだかわからないけど、いい大人が何をするでもなく道端にたむろしている。一人でそこを通るのは少し怖い。

    昼はバーガーキング(HAMBY KING)で、ワッパー&ヨーグルトを買って家で食べる。サラエボにはマクドナルドはない。

    ドイツ人2人ティノとミヒャエル増える。

  • 自然公園

    7人くらいで中心部から大分離れた山のふもとへ。自然を見せる感じの公園になっている。馬車、温泉なども。ただ、人間の手が入りすぎ。一日のんびりして過ごす。昼は久しぶりにチェバピを買って食べる。マスタードとパプリカがよく合う。なかなかうまい。

    人数が増えて部屋が狭くなってきたので食事とかかなり大変。電気コンロは弱いし、準備に時間かかるし、早く始めないと優先権の争奪が激しい。

    プロジェクトのタイトルもほぼ決まり、ポスターデザインも固まってくる。

  • 一番欲しいのは、英語力

    a.m.11:00 過ぎからメンバー全員でミーティング。プロジェクトのオフィシャルなタイトルを決める事、各自の現時点でのプランを発表。タイトルは結局決まらない。こういうちゃんとプレゼンしないといけないときは、自分の英語力不足を痛烈に感じる。

    午後、大きいショッピングセンターに行って、道具や資材をチェックする。こっちでも金さえ出せばいろんなものは手に入る。ただドイツなんかの他の進んでいるヨーロッパの国と値段はそんなに変わらない。サラエボの普通の人たちは買えるんだろうか?

    サラエボでやるプロジェクトがまだピンと来ない。日本で考えていた”Sarajevo Bowling Alleys”ももちろん考えているんだけど、サラエボに実際に来たからこそひらめいたプランが欲しくもある。まだ一週間くらいだから無理に決める必要はないが、少しあせってきてもいる。何か面白い事ができるだろうか?

  • オランダ人がシャワーに入ってる

    p.m.1:30 にみんなで exhibition を行なう”ACCESS”に向かう予定だったが、ドイツ人達も日本人の女の子達も全然動き出そうという気がない。みんなスタートが遅い。

    ぶらぶらした後、一人で8時くらいに帰ってくると近くでかくれんぼしていたシェイラとセルマが家まで先導してくれた。

    食後、ドイツ人達とお互いの言葉を練習しながら盛り上がる。ウィレム(オランダ人)がかなりテンション高くて面白い。この前の時に教えたらしく”アイーン!”とか”ギャフン!”とか”助けてー!オランダ人がシャワー入ってる!”なんて言ってる。笑いすぎておなか痛い。

    街を歩いているとたまに中国人に間違えられ”キナ!”と言われる。そして中国人に対してはボスニアの人の反応はかなり冷たい。SARSの事もあるだろうし、共産主義のこと、難民の事とかかなり根深い問題が潜んでいる。

  • 引越しお披露目パーティ

    その電気の問題で近所のブレーカーが落ちたりと、地主の人と少しもめているらしい。ベヒコの家族だけお金をもらっている事への嫉妬もあるようだ。ボスニア後なので全くわからないが、かなり厳しい事を言われているらしい。これは日本人のうちらだけでなく、ベヒコの家族にも降りかかる問題なので、しっかり対処しないといけない。

    夜、近所の人や日本大使館の人などを招いてパーティをする。肉じゃが、たこのから揚げ、ほうれん草(?)のおひたしなど。(そのために食材、調味料を用意しなくてはいけなかったので市内の中華料理店でランチを取りながら、坂根さんが中国語でいろんな話をしながら、干し椎茸、しょうゆ、味の素、割り箸などをただでゲット!謝謝!)

    みんなに箸で食べてもらいたいので渡して挑戦してもらう。子供たちは”のみこみ”が早く、もう上手に使える子もいる。

    デジカメで子供たちの写真を撮ってあげると、みんな集ってきて大盛り上がり。こういうときにデジカメは撮ったその場で見せられるから便利。ずっととっているときりがなくなってきたがたくさん撮った。

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  • 博物館、市場、ブレイカー

    博物館結構面白かった。ボスニア語で何が書いてあるのか全然わからないし、特に珍しいものがあるわけでは無かったが、博物館の展示形態のこととか、経済的に苦しい苦になりの博物館維持・管理の事とか興味深い事が多かった。(特にサラエボだけに限った事ではないが。)

    昼は中華。ヨーロッパに来てから、ほとんど野菜を摂取できないから、中華料理を食べると落ち着く。(プラハ、ヴェネツィアでも食べている。)

    (さらに…)

  • サラエヴォで一番クレイジーなクラブ

    昼過ぎ町の中心部まで出ると、普通に人通りの多いにぎやかな町並み。でも、「恵んでくれ!」という子供や老人が多い。

    3時過ぎにケバブみたいな肉料理とヨーグルト。(ブレクとかチェバピとかいろいろあるみたいだけど違いはよくわからない。)

    雨が結構降ってくる。ヨーロッパ来てから雨らしい雨は初めて。

    日本人が歩いているとやはりかなり珍しいらしくみんな注目するが、親切な人は親切。

    ダミエルは熱心なムスリムなので、なるべく1日5回お祈りをするし、ビールは飲まないし、豚肉は食べない。

    夜、市内から15kmほど離れたホテル”AQUA”にあるクラブのパーティに草平、岩井君と行く。草平が知り合ったボスニア人2人の車にて。サラエボではあまりクラブの楽しみ方がわかってないだろう事もあって、”カラオケ”タイムばかりずっとやっていたりいまいち盛り上がりに欠ける。DJもどうやらいないらしい。岩井君と2人でぶりぶり踊って完全にフロアーの主役になった。毎週顔を出したら有名になるだろう。まだ残っていたかったが、3人が帰るというので3時半にはアクアを後にする。途中屋台でハンバーガーを買って食べるが、1.5KMと安いのはいいが、パンがかなり大きくて食べるのがかなり大変。サラエボ人の2人も食べないでちぎって捨てている。驚き。

  • とうとうサラエヴォだ

    a.m.6:07 ザグレブ(クロアチア)着。サラエヴォ行きの電車まで3時間弱あり。周りの人の顔がもう全然違う。BUREKなるものを食べてみる。パイの中に挽肉が入っている。

    a.m.8:58 ザグレブ発。同じコンパートメントで一緒になったカップルの男の方が何時間もひたすら彼女の耳元にしゃべり続けている。こんなによく話す男は初めて見た。

    p.m.5:58 サラエボ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)着。長い道のりだった。郵便局で両替をしていると早速、戦災者らしいおばあさんに会った。

    TAXIにてアパートメントに向かうともう管理人の家族とダミエルが迎えてくれる(岩井君も合流)。草平がなかなか来ないのでダミエルがとても気を使ってもてなしてくれるが、電車での長旅で疲れている事もあってかなりいっぱいいっぱい。やはり観光地でお店の人やホテルの人などを相手にしているのと比べ、言語の問題は精神的な疲労が違う。

    草平とドイツ人二人(フロー、シビル)到着。

  • ベネツィアを後にする

    ザグレブ行きの電車が夜9時までないので、また1日ぶらぶらする。水上バスはチケットがかなり高いのでまた1日歩き続ける。

    p.m.09:19 ベネツィア出発。 寝台車にてザグレブに向かう。寝台車自体日本も含めて小さいとき以来。あまり居心地良くはないけれど、横になれるだけまし。