以下の記事が気になったので、ちょっと反応してみる。
彼は自分より大きな動物の肉を食べることに抵抗があり、雌牛の肉を食べることを「差し出がましく、雌牛に恥をかかす行為」としているため、食べることができないそうです。そんな彼ですが、ステーキを食べることによって自分の人生に新たな光が見いだせるのではないかと考え、ステーキを食べようと決意したようです。
僕が知り合った中にもベジタリアンは何人もいたけれど、もっと後天的というか、大人になってから思想やライフスタイルから自ら望んでそうなった人たちだった。そして、そのうちの一人はいつの間にか肉も普通に食べるようになり(そしてゲイに目覚めてしまった)、かえって優しい気質になった。
それにしても、記事中のジェイコブスさんが思い切って牛肉のステーキを食べようとしたのはとても彼の中で大きな乗り越えだったのだろうと思う。残念ながら彼はやはりベジタリアンに戻るのだが。
自分が以前10ヶ月ほど動物性のものを断っていたあと、初めて肉(牛肉)を口にしたときは、もちろん胃の中にクラスター爆弾を投下されたようだ
ということはなく、線香花火ほどもショックはなかったけれど、肉の味がしばらくわからなかったことを思い出した。お腹は少し壊したかもしれない。
ベジタリアンで思い出したのはもう一つサラエボで一緒になったジェシカのこと。
彼女も後からの理由ではなく、体質的な問題でベジタリアンだった。彼女は今はどんな作品を作っているのだろう。
サラエボといえば、大半がムスリム(イスラム教徒)なので宗教的な理由で豚肉を食べないのだが、東京での展覧会のために彼らが来たときも食べ物には結構苦労していた。
なんでも食べられるというのはいろんな意味でやはり幸せなのだろう。
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