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  • 非カタカナのお昼ご飯

    Genmusubi

    鴬谷を下谷方面に降り、入谷の交差点へ向かう途中、旧坂本小の少し手前にある「穀菜茶房 玄結び」。昨年秋に坂本小に何度も足を運んでいたときにはなかったなと思いながら、気になったそのお店でランチを食べてみました。
    玄米や黒米、おみをつけに自然な色の漬け物、具だくさんのオムレツとなんてことはない、一見地味なお膳ですが、安心しておいしく食べられるよいランチでした。

    この「穀菜茶房 玄結び」というお店は金沢米店という米屋さんが身土不二というコンセプトのもと、今年の1月にオープンさせたとのことなのですが、そんなことも知らずたまたま見つけたお店の中に「マクロビオティック」や「スローフード」や「ロハス」なんてカタカナが一切見られず、ちょっと感動したのでした。このお膳を見たら「まくろb…」なんて言ってよさそうなのに、言わないできっちりとおいしいちゃんとしたものを提供してることを気持ち良く感じたのです。だって、これって当たり前の日本の食事じゃないですか。

    が…

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  • 何でもない不穏「私のいる場所」

    続き。
    ジャン=ポール・ブロヘスのシリーズ「Aplovou 雨を連れてきた男」は作家の住むベルギーの村で90年代に撮影されたもの。

     問題は、できるかぎり自由な形で物語を提供できるように並べ、人がこれらの写真を読み取ったり、眺めたりして、それぞれにささやかなストーリーを組み立てられるようにすることである。これはドキュメンタリーではなくフィクションだから、解説文もない。

    牧歌的で朗らかで多くの動物たちと子供に囲まれたある意味で理想的な「スロー・ライフ」の風景にはどこか不穏さを感じる。妖しげにも見える彩りのキノコ、子供が遊んでいるのは蛇、瓶の内側を必死に登る無数の毛虫。それはリアルな田舎の風景だけれど、都会のヘタレな僕らが思い描く憧れの「田舎」とはどこか違っている。

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  • 自分でハードル上げ / サステナブル

    ブログはしばらく間をあけてしまうと、自分で次の記事のハードルを勝手に上げてしまって書きにくくなるな… 三週間も更新しないほど、常に忙しかったわけではないのです。そこそこです。なので、これ以上ハードル上げないうちに書いてしまおうかと。

    結局修了制作について、まとまってるとは言えませんが、いろんな事と断片的に繋がって、でも連続はしていない。でも継続と持続はしている。そんな具合です。

    去年の「サスティナブル・アートプロジェクト 2005 言の伝え」の公開ディスカッション(→言の伝え: 公開ディスカッション)の際、会場の方から

    展示されている作品のどれを見ても「サスティナブル・アート」らしいものがないのだけれど、どうしてか?

    と言った質問がなされました。その時僕は少し熱くなりながら答えたのですが、その時の事を思い出しながら、もう一度整理して少し書いてみます。

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  • 修了制作作品「Baci di Dama」について

    大学院美術研究科修了制作について。

    修了制作とは

    一般に芸大・美大の実技系の専攻においては、4年制学部の卒業時に卒業制作、大学院修士課程の修了時に修了制作の提出が課される。一般大学における卒業論文などにあたる。美大においても芸術学専攻などにおいては、提出は卒業論文など。専攻科によってはどちらでもよかったり、あるいは両方提出する必要がある。

    修了制作:Baci di Dama

    Baci-Di-Dama5000X5000X30 (mm)
    441個の 焼き菓子 / dolce
    2006/01/18 東京芸術大学大学院修了制作作品


    Baci di Dama とは

    baci はキス、dama は貴婦人で「貴婦人のキス」の意味を持つ、ピエモンテ州のトルトーナ(Tortona)の銘菓で、150年以上前から作られている。

    名前の由来は「若い菓子職人が身分違いのレディとのbacio(キス)を想像して作った」とか「ヨコから見たふたつのビスケットの形が,レディらしいふっくらした唇に似ているから」など、諸説ある。

    作り方

    材料:

    人参のピュレ
    18kg
    パプリカ(赤いもの)
    1200個
    薄力粉
    16kg
    バター
    12kg
    グラニュー糖
    16kg
    アーモンドプードル
    30kg
    チョコレート
    8kg
    1. パプリカはオーブンで焼き、薄皮を丁寧にとる。熱がある程度とれたら、フードプロセッサにかけたあと濾し、人参のピュレと合わせる。人参のピュレが手に入らなければ、パプリカと同様に作る。
    2. ボールに薄力粉をふるい、グラニュー糖、アーモンドプードル、ピュレを入れて合わせる。そこに細かく刻んだバターを入れよく混ぜる。
    3. 全体がむらなく混ざれば、型に入れて冷蔵庫で一日寝かす。
    4. 寝かした生地を小さなボール状に丸めて、180℃に予熱したオーブンで10~15分焼く。
    5. チョコレートを刻んで、湯煎して溶かす。
    6. 焼いて冷ました生地と生地の間にチョコレートを挟む。

    今回のBaci di Dama のレシピについては、京都『Divo DIva』西沢シェフの「Baci Di Dama Alla Carota Di Kyoto 京人参のバーチ ディ ダーマ」のものを参考に、展示の内容・形式、制約により多少のアレンジをしている。

    修了の制作にあたり、今までの自分の制作態度と方法を再考、展開する必要がある。
    そもそも自分はいつも何を気にして制作しているのか。何を選んできたのか。何を持って作品の成立とするのか。

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  • 「ロハスブランドのライセンス事業」に

    NIKKEI NETのニュースから。

     三井物産が来春、米国で健康と環境に配慮したライフスタイルとして注目されている「ロハス(LOHAS)」をブランドとして管理するライセンス事業を始める。日本で商標の大半を保有するトド・プレス(東京・中央)と契約、三井物産が2社の商標を一括管理し、衣料品や食品など幅広い商品の展開を働きかける。

    三井物産、「ロハス」のブランド管理: NIKKEI NET:企業

    ハイハイ、ロハスワロス。

    僕は「ソトコト」と「ロハス(LOHAS)」「スローフード」を全く支持しない。ソトコトのそれらと"LOHAS", "slow food"とは別物である。

    2003年に撮影・制作、2004年に卒業制作として発表した「slow food」という作品の直接のきっかけはアートという戦場-ソーシャルアート入門で岩田が触れている通り、サラエボでの体験であるが、それを編集、作品化するにあたって大きなモチーフになったのはまさにソトコトが行なってきた「スローフード」のファッション化への疑問である。

     関連するブログとか見て回ってたのだが、一番ワロタのが「R25」のブログ。「LOHAS、知らないな~んて言ってるあなた?相当カッコ悪いですよ」って、カッコワルイのは君だ。で、最後のまとめが「少しずつ、自分のため・将来のために 俺のライフスタイルはLOHASを取り入れてる! って言えるようになるのが、モテモテへの近道?」だって。

    [R30]: LOHASは「サブマリン商標」の成功事例か

    結局「スローフード」も「ロハス」もこのレベルの認識しかされてないわけだ。

    毎号毎号紙面にてタレントを使って繰り返されるスローフード、確かにそれは slow food を広めるハブとしての意味は確かにあるだろう。しかしそうして広められたスローフードは slow food を矮小化したものでしかない。ソトコト以外でもスローフードは何度も使い回され、そして流行として消費され陳腐化していった。ソトコトの表紙がスローフードからロハスに代わった時、「あっ、いいもの(おいしいもの)を見つけたな、ソトコト」と思った。スローフードがスローライフその他の派生を産みながらも、取り込みきれなかったものが全部「ロハス」でカバーできた。

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  • slow food

    Slowfood01

    13分の映像+食品サンプルのインスタレーション
    2004/01/19 東京芸術大学卒業制作作品
    撮影:Sarajevo, Bosnia and Herzegovina
    サロン・ド・プランタン賞

    Slowfood02 Slowfood03 Slowfood04

    人間が食事をするために他の動物を殺すのは野蛮なことだろうか?
    あなたが食べるソーセージのために屠殺される豚のことを思ったことがあるだろうか?
    ハンバーガーのために牛を絞めている人がいるのを考えたことがあるだろうか?

    中国では食べるために動物を殺すからには血の一滴までも無駄にしないという。
    飛んでいるものは飛行機以外、足のあるものは椅子以外食べるという。
    沖縄では豚を鳴き声以外全て食べるそうだ。
    人間のアクティビティの中で最も重要で、無意識のうちに消費され、そして排出されていく「食事」は文化や価値観の違いが最も顕著に表れるところでもある。

    私たちは「食べる」行為を本当は知らない。

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  • たまには、久しぶりに

    たまには、久しぶりに日記らしく、なんでもないこと書こうかな。

    「誰も知らない」の有楽町シネカノンでの上映が明日で終わるので誘ったら、「試写会で見た」と。...どうにも見たくなったのでとある同僚を誘ったら、「始まって三日目くらいに見た」と。...いいよ、一人で行くから。映画は一人のがいいわい。と少し凹みながら見に行ったら是枝監督のティーチ・インがあるらしく(しかもたまたま最後の回に行ったのに)、それも聞けた。思い込みの激しいファンの質問に、場内「あー、やばい空気かも」という感じになるが、監督のゆったりと、でもじっくりと真摯な回答もあってなかなか良かったですよ。映画自体も。それも書きます。

    で、一人夜遅く地元の牛丼屋で、ビールを飲みながら、遅い食事。これは、小学生の頃ずっと聴いてた中島みゆきの世界だな。五反田なので夜お仕事頑張っている人、買い出しに来させられてる人、ビールでいい感じに酔ってる近所らしいおじさん、いろんな人がいて、なかなか味わい深い。

    私、牛丼もファーストフード(以下FF)も普通に食べます。一人暮らしの若者ですから。たまに牛丼食べたことの無い人、「FFはまずいから食べない」という人いますが、そう言う人はどこか信じられない。FFもちゃんと評価できないと、と思う。まずいならまずいで。大体食べてないんだから、まずいかわからないんじゃ?FFしか食べられない人は?スローフードばかり好きなように食べれる人はそのことをもっと感謝しないとけないのでは?というのが、スローフード周辺の空気の居心地の悪さだとずっと思ってます。あくまで個人的には。

  • かっこいいライフスタイルって、かっこ悪い

    ここのところ、自分の作品の軸のキーになりそうなのが「スローフード」。都会人のいかにもカッコよさそうなライフスタイルを表す言葉としてではなくて、もっと複雑な気持ちをこめて扱おうと思っている。