
Re_Cultivation オープニング巡回ツアー、Empty Houseでは流しそうめんパーティ!準備でいっぱいいっぱいになりながらも始まってみれば大盛況。ドイツ人もボスニア人もオランダ人も「流れるヌードルを掬って食べる」という前代未聞の体験を大変楽しんでくれた。暗い家の中での写真なのでいまいち熱気が伝わリにくいのが残念。
タグ: installation
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流しそうめん@Empty House
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企画展示作品のその後
たけくまメモ: OTAKU展、その後の難題より、こんな話を知った。
「OTAKU展の展示物を引き取ってくれる施設が見つからない」
とのこと。要するにあれですよ、あそこで展示された食玩とかフィギュアとか、同人誌とかポスターとか、その他もろもろの膨大なオタクアイテムの行き場に困っているそうなんです。
よくありそうな話ではあるが、「ベネツィア・ビエンナーレ」、「オタク」というキーワードを含んでいるだけにちょっと様子も違うように思う。せっかくなので、展覧会の時に書かなかったことを思い出しながら書きます。
ビエンナーレでの好評の噂を聞き、おまけのおかげかAmazonでも異様な盛り上がりを見せた「OTAKU展」。僕も東京都写真美術館で見たのだけれど、展示の内容とは別のところばかり気になってしまった。一番は「誰が、どんな人が見に来ているのか?」アート関係者か、建築関係者か、オタクか、自分がオタクだということに気付いてないオタクか。ただの怖いもの見たさか。自分がどれに当てはまるのかも問題だが、僕の行った時は「自分がオタクだということに気付いてないオタク」が多かったように思う。もちろん「オタク」はオタクで全然いいのだけれど、「自分がオタクだということに気付いてないオタク(という言い方もどうなんだろう?)」が友人と「オタク」を蔑んでいるような会話を多く聞かされてなんとも嫌な気分になった。
あともう一つは展示されていた写真に関してである。
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ナマコの家
おかげさまで”ART-PATH’04″も無事終了。現場までは崖を降りないといけないこともあり、三日で15人程度しか来ていただけませんでしたが(...やはり...)、どうもありがとうございました。橋の上からは結構多くの人に見てもらっていたように思います。その方がいいかも...内容的には基本的には「言の問い」の時と同じであります。場所が変わることで見え方は大きく変わりましたが。さて、今回の「ナマコの家」ですが、もし興味を持っていただけましたら、以下のナマコ情報をどうぞ。
!!注!!
相当気持ち悪い写真が多いので、覚悟して見てください。気分を害されても責任を持てません。ナマコに興味のある人だけリンク先へどうぞ。 -
言の問い→ART PATH
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天井壁貼りクロス攻め

かえっこの盛況を横目でチラ見、MRの上で一人高所恐怖症と闘いながら、地味ーな作業をしている図であります。昨日のオープニングパーティの調理器具を取りにきたトンちゃんを捕まえて屋根に壁紙(白クロス)を貼ろうとしますが、しわ、空気を入れずに貼るのは難しい。なにせ5000×2400の壁(ホントは屋根)ですから。さて、ちょっと攻め方を変えてみます。
そして日も暮れてから昨日の主役の一つであるナマコのはらわた(MRのユニットキッチン)を再度搬入。
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3rd ケータリング仕事
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駒形どぜうを喰らう
プロパガンダ・オープニングパーティ班の打ち上げを浅草は「駒形どぜう」にてしてきました。
浅草線のプラットフォームの広告でずっと気になっていた「どぜう一筋200年」のお店についに行ったわけです。でも、「くじら料理でも日本最古の店」とも言っているあたりは一筋加減...なんて野暮なことは言いません。
で、どぜうなべ、おいしかったです。唐揚げもやわらかくふっくらしてよし。くじらもよし。どぜう汁もよし。料理部長がやたらと葱を放り込んでいて、どぜう食べてるのか、葱食べてるのかわからなくなりましたが。「プロパガンダ」展オープニング時の写真を東大博物館の柳川さんにいただきましたので、ページ公開の前にここでチラッと紹介します。こんな感じでした。

(撮影:柳川さん)
EXHIBITIONのオープニングパーティの際に、気の利いた料理とインスタレーションの欲しい方はどうぞご連絡ください。 -
博物館、沖縄、インスタレーション
平和祈念公園内の平和祈念資料館、名護博物館などが良かった。
最近、東大博物館とその小石川分館に深く関わってきているが、博物館をちゃんと評価するためには他をちゃんと見ることが大切だと確認した。平和祈念資料館と名護博物館では予算の規模も訴えるテーマも大きく違うわけだけれど、その展示(インスタレーション)の丁寧さ、面白さ、親切さなどかなりピンと来た。特に平和祈念資料館のインスタレーションには正直感動さえ覚えた。小石川分館の不親切さや、無責任さはそれ自体ゆえにユニークだし、見る側に想像させる余地があって、アート的な面白さはあるんだけれど、それは見せる側(アートだったらもちろんアーティスト)の傲慢と自己満足に紙一重だ。どっちがいいかは正直わからないし、その時その時、人それぞれでどっちも正解になりえるだろう。
博物館もアートも、ある程度学術IQ、美術IQ的なレベルを要求して、それを持っていないとまるで意味を成さないものであれば、それはとてもつまらないと思うし、寂しい。
120個のレンガ。
今日の異様な暖かさはなんなのでしょう。




