カテゴリー: art

  • 簡単なフルクサス予備知識

    いきなり「フルクサス」や「FLUXUS」だの言ってもあれなので、ちょっと簡単にですが「フルクサス=FLUXUS」の予備知識をまとめてみます。

    フルクサスって?

    FLUXUS
    浄化、連続運動、流れる水、溶解、腸の洗浄…

    デザイナーで建築家でもあったジョージ・マチューナスが、「フルクサス的」と認めたアーティストを組織したグループ。とは言っても、グループの性格は作家を束縛するような○○主義あるいは一定の方法論を根底に持つものではないので、緩い共同体の中で、作家同士や作家とオーディエンス、批評家やコレクターなども巻き込んだ作品を展開していた。

    音楽出身の作家やジョン・ケージのクラス出身が多いこともあり、パフォーマンスが重要視され、それらは「イベント」や「ギャグ」と呼ばれることも多い。作品のいくつかは先に挙げたYoutubeで今すぐにでも見ることが出来る。

    実験音楽・サウンドアートというページではフルクサス関連音源のガイドも。

    また正確にはメンバーではないけれど、フルクサス自体に影響の大きいジョン・ケージの代表作「4分33秒」も参考に。(残念ながら当時のものではない)

    ビデオ見るのが一番早いです。

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  • 1995年のフルクサス

    Studiovoice9504右は雑誌「STUDIO VOICE(発行INFAS)1995年4月号で特集は『フルクサス発 -インターメディア・アートの出発点から』。室井尚のテキストから中村さんによるザ・ギンブラート&新宿少年アートのレポートまで内容はとても充実している。95年といえば、日本のインターネットはまだ黎明期。「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書」の年表より当時の参考になりそうなトピックを抜き出してみると、

    1995(平成7年)
    01/01 日本IBMのウェブサイト開設。
    01/26 富士通「Info Web」のウェブサイト開設。
    03/02 米「Yahoo!」開設。
    03/20 オウム真理教による地下鉄サリン事件。

    という年。一部の大学や企業にいる人を除いて多くの人はインターネットに直接触れてなかった頃だ。この号の冒頭で室井尚はこう書いている。

    ハーモニアスな感覚統合しか目指さない「マルチメディア」や、等質なシステムの上に構築された「インターネット」が今の話題の中心である。だが、そこはフルクサスの「インターメディア」がもっていた大事なものが抜け落ちているような気がしてならない。あらゆる異質なジャンルの中に新しい組み合わせを作り出すこと、出会いを作り出していくこと、要するにハイブリッドでルートを欠いた軽やかな(そしてブルトン的な意味で「痙攣的」な)知をディジタル・メディアの中に導入していくことが必要なのである。その意味で今時代はフルクサスなのだ。

    ディジタル・フルクサスに向けて(STUDIO VOICE Vol.232 1995年4月号) /室井尚

    初めて「フルクサス」と名付けられたコンサートが開かれたのが1962年、インターネット黎明の1995年、そして現在。インターネット状のコンテンツがどんどん拡大していく2006年に、一体フルクサスから何を学べばいいだろうか。

  • Youtubeで見られるFLUXUSとその周辺

    新しいメディア/フィールドとクリエイティビティ、社会との関係性を考えてみるために、FLUXUSを参照してみるのはいつだって有効なように思う。
    まずはYoutubeで見られるFLUXUS関係のビデオをリストアップ。11PMでのナム・ジュン・パイク特集なんて特に面白いので是非。

    フルクサスとは何か? -日常とアートを結びつけた人々フルクサスとは何か? -日常とアートを結びつけた人々
    塩見 允枝子 (著)

    今までもフルクサスは多くの展覧会や雑誌の記事などで取り上げられてきたが、実際にフルクサスの中でジョージ・マチューナスらと一緒にイベントをしていた作家自身の日本語によるテキストとして、昨年発行されたこの本は重要。オノ・ヨーコやヨーゼフ・ボイスに引っ張られない当時の記述はとても興味深い。

    この本からFLUXUSとアーティスト、クリエイティブ、作家性などについて少し考えてみます。

  • FlickrとCCとアーティスト 2

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    Uploaded on May 15, 2006
    by jakedobkin

    ここで最初のjakedobkinの写真にまた戻ると、彼の場合は街中のグラフや落書き、ストリートアートを写真に収めてアーカイブしているわけで、それぞれの作品はjakedobkinの手によるものではない。というか、本来のグラフは法的にアウトな中でのメッセージや絵の魅力と、そこに表れてくる作家性との間でのオリジナルとコピー、アノニマスのジレンマが大きな魅力であったはずだ。

    彼の場合、自分の足で集めたそのグラフの数は4,482枚にも及び(5/22現在)、その量と姿勢は一つのクリエイティブなカタチであるようにも思われる。

    サンプリング、リミックスという手法を軸に成長し、また音源の著作問題で一時大きな転換を迎えたHIPHOP。そのHIPHOPの中からこういう面白い試みもあった。

    「Copyright Criminals Remix Contest(著作権違反者によるリミックスコンテスト)」と呼ばれるコンテストは、非営利組織の「Creative Commons」が主催するもので、リミックス文化の促進と、Millerらが取り組んでいるような、自分の作品を合法的かつ手頃な価格で提供し、他のミュージシャンがそれらの作品を操作できるようにする活動の奨励を目的としている。

    ヒップホップがクリエイティブコモンズと出会う時 – CNET Japan

    CCライセンスは決して著作権の放棄ではなくて、権利の及ぶ範囲と条件を明確にしようというものなので、こういう可能性も考えられる。

    レコード業界が保有する過去の作品の巨大な宝庫をリミクサーに開放すれば、それらの作品の利用が莫大な経済的利益を生む可能性があることを同業界は認識すべきだ、と主張している。

    クリエイティブなこと、クリエイティブを妨げていること、著作者に有益なことって、本当は何でしょう?

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  • FlickrとCCとアーティスト 1

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    Uploaded on December 13, 2005
    by jakedobkin

    もしもし。
    flickr! には“Favorites”という機能があって、他の人がアップロードした写真のうちお気に入りのものをまとめてリストに入れておける。相手が“contact(mixiでいうマイミク)”でなくてもOKで、他人が“Favorites”に加えると本人には通知されるので、結構嬉しかったりする。

    左は僕のお気に入りの中でも特にお気に入りの一枚で、写真を撮ったjakedobkinのタグによると、ロスに描かれていたグラフらしい。いいでしょ。グラフィティにロス、髑髏という怖そうなイメージと「もしもし」のギャップ。

    flickr!ではその写真ごとについての権利をCCによって、本人が明記出来るようになっている。
    例えば上の写真の場合、“by-nc-sa”という権利が付されていて、

    BY
    帰属. あなたは原著作者のクレジットを表示しなければなりません。
    Non-Commercial
    非営利. あなたはこの作品を営利目的で利用してはなりません。
    Share Alike
    同一条件許諾. もしあなたがこの作品を改変、変形または加工した場合、あなたはその結果生じた作品をこの作品と同一の許諾条件の下でのみ頒布することができます。

    という条件を守れば、本作品を複製、頒布、展示、実演することができて、二次的著作物を作成することができるということになっている。

    今回自分のFavoritesからいくつか紹介しようと思ったけれど、CCライセンスを積極的に利用してるものは意外に少なかったので、もし興味あれば、ここからどうぞ。

    どれもお気に入りです。食べ物の写真が多いのは気のせいです。

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  • 「転換期の作法」はどう受け止められたか

    その総入場者数がどれくらいのものかはわからないけれど、日本ではマイナーな地域のよく知られていない作家たちの展覧会は、意外にも多くのブログで色々な感想が述べられてきた。

    昨年8月に大阪の国立国際美術館でスタートしてから、広島市現代美術館そして東京と現代美術館へと巡回、3月26日の会期が終了からもう1ヶ月が経とうとしているが、リアクションも落ち着いた今だからこそ、この展覧会がどう受け止められてきたかを考えることで何か見えてくるものはないだろうか?

    この「転換期の作法」について考えることは、「現代美術」そのものについて考えることにも有効であると思われる。

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  • そしてメールから 2000@aktions galerie

    そしてもう1冊。こちらは解説、略歴など英語でも併記してあるので助かる。

    UNDABDIE POST 2000

    4.Festival junger experimenteller Kunst
    2000年5月12日~6月12日@aktions galerie
    文字通り若い作家の実験的な作品を集めた展覧会。
    ハンガリーだけでなく、韓国や中国、日本の作家の名も。参加アーティストは Noam Braslavsky, Barbara Caveng, Attila Csorgo, EIKE, Ho Siu-kee, Mariann Imre, Sabine Jank. Ki-Heoun Jeoung, Martin Juef, Heinz Kasper, Karin Kerkmann, Julia Krewani, Reinhard Kuhl, Tilman Kuntzel, Antal Lakner, Ulrich Lepka, Ola Lewin, Holger Link, Kriszta Nagy, Hajnal Nemeth/Peter Land, Augusto Pacheco, Qiu Ping, Birgit Ramsauer, lepe B.T. Rubingh, Cameron Rudd, Iris Schieferstein, Tereza Mazuela Sequeira, Jun Shibata, Volker Sieben, Takahiro Suzuki, Uwe Trierweiler, Wiebke Maria Wachmann, Peter Welz, Kai Zimmer.

    下線がハンガリーの作家。EIKEはブダペスト在住。

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  • 90年代のハンガリー美術@ベルリン芸術アカデミー

    前のエントリで挙げたベルリンから送られてきた展覧会のカタログ2冊について2回に渡りちょっとだけハンガリー方面からフォロー。と言ってもドイツ語は全く読めないので、それなり。

    Kunst der neunziger Jahre in Ungarn

    Budapest – Berlin 1999
    1999年8月29日~10月17日@AKADEMIE DER KUNSTE(ベルリン芸術アカデミー)
    90年代のハンガリー美術の展覧会。参加アーティストは Imre Bak, levente Baranzai, Emese Benczur, Akos Birkas, Imre Burkta, Maria Chilf, Attila Csorg?, Roza El-Hassan, Peter Gemes, Gabor Gerhes, Joszef Hajdu, IPUT(Tamas Szentjoby), Gyorgy Jovanovics, Antal Lakner, Dora Maurer, Laszlo Mulasics, Csaba Nemes, Janos Sugar, Dezs? Szabo, Zoltan Szegedy-Maszak, Janos Szirtes, Tamas Trombitas, Gyula Varnai, Miklos Erhardt / Dominic peter Hislop.

    -以下追記あり-

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  • 頑張らないワークショップ

    Petti060328-1

    Petti060328-2こどもと一緒にワークショップをやっていて、一番嬉しい瞬間は「それまでの敬語が急にタメ口になった時」かな、と思ったりしました。

    家でお母さんには「大人の人にはきちんと敬語で話しなさい」ときっと言われてるはずなので、ワークショップが始まったばかりのまだ緊張している時は、みんな遠慮をして敬語で話してきます。それがだんだんものを作ったり、描いたりに夢中になってくると、
    「ねえ、紙粘土ない?」とか
    「黄緑のきらきらどこ?」
    「あそこにあるのじゃダメなの?」
    「あれはミドリ!探してるのはキミドリ!」
    なんて風になってきます。そうなればもう自分の中ではうまくいっているのです。

    何かをしてあげないといけない、何かに導かないといけない、そんなワークショップは嫌なのです。

    だから僕は頑張りません。

  • 自分でハードル上げ / サステナブル

    ブログはしばらく間をあけてしまうと、自分で次の記事のハードルを勝手に上げてしまって書きにくくなるな… 三週間も更新しないほど、常に忙しかったわけではないのです。そこそこです。なので、これ以上ハードル上げないうちに書いてしまおうかと。

    結局修了制作について、まとまってるとは言えませんが、いろんな事と断片的に繋がって、でも連続はしていない。でも継続と持続はしている。そんな具合です。

    去年の「サスティナブル・アートプロジェクト 2005 言の伝え」の公開ディスカッション(→言の伝え: 公開ディスカッション)の際、会場の方から

    展示されている作品のどれを見ても「サスティナブル・アート」らしいものがないのだけれど、どうしてか?

    と言った質問がなされました。その時僕は少し熱くなりながら答えたのですが、その時の事を思い出しながら、もう一度整理して少し書いてみます。

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