立ち読み/スーザン・ソンタグ

他者の苦痛へのまなざし
スーザン・ソンタグ 『他者の苦痛へのまなざし』 2003年
北條文緒訳
みすず書房 ISBN 4-622-07047-2

乱暴なのは承知で、ソンタグの言及について「解釈することによって、芸術を飼い馴らす」事が無いように、ぶつ切りで抜粋します。本屋にて立ち読みをするつもりでどうぞ。

私たちの欠陥は想像力の、感情移入の不足なのです。私たちはこの現実を脳裏にありありと描く事ができないのです。

どこかの国で起こっている惨禍の見物人であることは、典型的な現代の経験であって、

人々は悲惨な映像が視野に放り込まれるたびに、同情し、憤り、卑猥な想像をかきたてられ、あるいは是認する。

だが、確かにサラエヴォの人々には、海外でサラエヴォに背を向けている人々とは違う、もう一つ別の理由があって、

彼女が非常な寛大さを示している外国人の怠慢は、何もすることができないという感情の結果でもあった。彼女が近くで起こっている戦争の、予告的な映像にかかわろうとしなかったのは、無力と恐怖の表現であった。

海外の人々が恐ろしい映像を見せるテレビのスイッチを切るのは、例えば、ボスニアの戦争が止まないから、指導者たちがこれはどうしようもない状況だと主張するからである。人々の恐怖に対する反応が鈍るのは、どの戦争も止めさせることができないように思われるからである。同情は不安定な感情で、行為に移し変えられないかぎり、萎れてしまう。問題は、喚起された感情や伝達された情報をどうするか、である。

僕らの活動は反戦を訴えるものでもなければ、ジャーナリスティックなものでもなかった。そして、「同情されるにふさわしいサラエヴォのイメージ」は、見つけようと思えばいくらでも見つけられるけれど、見物人である僕らには本当の意味でのリアリティは持ち得なかったと思う。

では、「できることは何も無い」「われわれ」は「どうするか」?

< この記事は以前"Web of Activities"に書いたものです。 >

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