企画展示作品のその後

たけくまメモ: OTAKU展、その後の難題より、こんな話を知った。

「OTAKU展の展示物を引き取ってくれる施設が見つからない」

とのこと。要するにあれですよ、あそこで展示された食玩とかフィギュアとか、同人誌とかポスターとか、その他もろもろの膨大なオタクアイテムの行き場に困っているそうなんです。

よくありそうな話ではあるが、「ベネツィア・ビエンナーレ」、「オタク」というキーワードを含んでいるだけにちょっと様子も違うように思う。せっかくなので、展覧会の時に書かなかったことを思い出しながら書きます。

ビエンナーレでの好評の噂を聞き、おまけのおかげかAmazonでも異様な盛り上がりを見せた「OTAKU展」。僕も東京都写真美術館で見たのだけれど、展示の内容とは別のところばかり気になってしまった。一番は「誰が、どんな人が見に来ているのか?」アート関係者か、建築関係者か、オタクか、自分がオタクだということに気付いてないオタクか。ただの怖いもの見たさか。自分がどれに当てはまるのかも問題だが、僕の行った時は「自分がオタクだということに気付いてないオタク」が多かったように思う。もちろん「オタク」はオタクで全然いいのだけれど、「自分がオタクだということに気付いてないオタク(という言い方もどうなんだろう?)」が友人と「オタク」を蔑んでいるような会話を多く聞かされてなんとも嫌な気分になった。

あともう一つは展示されていた写真に関してである。

後半、奥のブースでオタク群衆写真、アキバ写真などが展示されいたのだけれど、そのどれもが丁寧に目をぼかされていた。何か素人投稿写真のようなとても猥褻なものに見えた。世の中的なプライバシーの問題、肖像権の問題に関してのリスクが、ああいう公的な場「美術館」では大きいゆえだと思うのだけれど、あれはどうだったのか、仕方がないのか。だいたい目をぼかせばクリアできる問題なのか。ぼかしを何ヶ所も入れた(レタッチしまくった)写真に資料的な効果はあるのか。あるいは「オタク」の権利を守ろう(守ってあげよう)という意識自体が「オタク」を蔑む意識を助長しているのではないか?

さて、膨大なオタクアイテムの行方についてだけれど、正直日本の美術館は難しいのかな、という気もする。地方自治体の博物館は地元の風俗資料、美術館は地元出身作家の作品をキープするのに予算と場所がいっぱいいっぱいだろうし、田舎に行けば行くほど、「オタク」での集客、利益を上げるのは難しいだろう。「ベネツィア・ビエンナーレ」も一般の人には何の効果もないだろう。珍しがる、面白がる以上に資料的、文化的、将来的な価値を見いだせるところがあればいいのだろうけど。ただインスタレーションとしてだけ考えると、正直、あの状態を残す事の意味が本当にあるのか?という気もする。ちゃんとした記録を残せればそれでいいのかも。まんだらけとか、アキバのなんとかショップに持ち込むとか、いっそヤフオクに出品するなんてのも冗談ではなく、本気で面白いかもしれない。

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