何でもない不穏「私のいる場所」

続き。
ジャン=ポール・ブロヘスのシリーズ「Aplovou 雨を連れてきた男」は作家の住むベルギーの村で90年代に撮影されたもの。

 問題は、できるかぎり自由な形で物語を提供できるように並べ、人がこれらの写真を読み取ったり、眺めたりして、それぞれにささやかなストーリーを組み立てられるようにすることである。これはドキュメンタリーではなくフィクションだから、解説文もない。

牧歌的で朗らかで多くの動物たちと子供に囲まれたある意味で理想的な「スロー・ライフ」の風景にはどこか不穏さを感じる。妖しげにも見える彩りのキノコ、子供が遊んでいるのは蛇、瓶の内側を必死に登る無数の毛虫。それはリアルな田舎の風景だけれど、都会のヘタレな僕らが思い描く憧れの「田舎」とはどこか違っている。

その写真のことを考えていたら、昨年日本でも公開されたハンガリーのパールフィ・ジョルジュ監督の「HUKKLE ハックル(音が出るので注意)」のことを思いだした。

これは映画を装ったゲームで、牧歌的な土地と映像の裏にストーリーが潜んでいる不思議絵なんだ。だから時には映像を上下逆さまに見直して、一度目にしたものを忘れてしまわなければ、探しているものが浮かび上がってこなかったりする。

ハックルはハンガリーの農村でおじいさんのしゃっくり(hukkleはハンガリー語でしゃっくりの音を模した語)を基調に、ミクロやマクロ、様々なアングルを織り交ぜながら、風景の中でサンプルされた音のみで構成されている映画だ。何でもない農村の風景の中で、ミツバチが潰され、猫はのたうって死に、水死体が見つかり、最後にはステルスまでが飛び出す。

朗らかさとゆったり。リアルと物騒。不穏の足音。
僕らはそこから組み立てたフィクションの中に何を探しているのだろう。何を見つけるのだろう。

作家は確かに私にとって、なじみ深く必要なもの、私の人生を撮っているにすぎないのかもしれないが、そのプライベートな視線は、「よそ者(Aplovouというのはその地方の方言でよそ者の意)」である鑑賞者にとって、静かにそっと、だけれど強く確かなメッセージを放っている。

もう一回続く。

私のいる場所-新進作家展vol.4 ゼロ年代の写真論
東京都写真美術館
2006年3月11日(土) ~ 4月23日(日)

Similar Posts:

    None Found

Leave a Reply