「ヘンリー ダーガー 少女たちの戦いの物語 ー夢の楽園」 Hara Museum Web
2002年から2003年にかけてのワタリウム美術館での展覧会以来の大きな回顧展となる。
そのワタリウムの時に見ていなかったので、今回の原美術館で初めてダーガーの絵の実物を見たのだけれど、最初の印象としては「こんなに大きいんだ」というものだった。美術の雑誌や本などでダーガーの絵自体はずっと見ていたのだが、いつもそのサイズはせいぜいA4の見開きくらいまでなので、意外に大きいその少女たちと作品のスケール感がダーガーの身体感覚として新鮮な驚きを得られるものだった。
ただ、正直言ってしまえばそのこと自体を一枚目の絵で確認出来た以上の体験は、それ以降得られなかった。そして解説の中にあった記述がとても気になった。
ダーガーの作品を彼の死後、世の中に発表したネイサン(家主でもあった)を紹介する一室のキャプションの中に、「ダーガーが自分の作品を託した・・・」というような記述があった。これは字数やパネルのサイズなど、展示上の都合を考えても適切な紹介ではない。
ワタリウム展より先にダーガーについて触れている斉藤環の『戦闘美少女の精神分析』の111ページにはこうある。
老人ホームでのダーガーは、引っ込み思案で憂鬱そうな、おとなしく目立たない老人だった。作品の発見後すぐ、学生デヴィッド・バーグランドはホームにダーガーを訪ねた。発見の興奮さめやらぬデヴィッドは、大いに意気込んでダーガーに自分たちが見つけたものについて報告した。しかし彼の反応は、いささか奇妙なものだった。
ダーガーはあきらかに、ひどくショックを受けていた。彼はしばらく沈黙した後、ようやく重い口を開いた。「もう手遅れだ。話したくない」。それはまるで心に痛手を受けた人のようだった。そして彼は、はっきりした口調でつけ加えた。「(作品は)全部捨ててくれ」。
それから半年後、ダーガーは孤独のうちに死を迎えた。
この一連のダーガーについての記述は、ダーガー作品をはじめて病跡学的な見地から取り上げた美術史家ジョン・M・マクレガーのいくつかの論文に基づき、まとめられているものである。
本当は作品の質自体に関して、その制作者がアウトサイダーか、アウトサイダーではないかというのは問題にすべきではないとは思うのだが、実際はそうではないし、多くの作品はやはり一見でわかってしまう。またインサイダーにはどうしても到達できない地点にいるアウトサイダーに、表現者として羨望に近い思いを持っている作家も少なからずいる。そもそも作品を自分で発表する意思があるか、ないかというのはインサイダーであるか、アウトサイダーであるかに限らず、作家という存在の大きな要素だと思うのだが、原美術館での展覧会のキャプションはあまりにその点に関して鈍感なように感じた。
大きな美術館とは違う視点やセレクトでの企画を多くやってきている原美術館への期待が大きいだけにその点がとても残念に思う。
ヘンリー ダーガー 少女たちの戦いの物語ー夢の楽園
2007年4月14日〜7月16日
原美術館
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こんにちは。私はこの展覧会は見逃してしまい、実物を観る機会を逸したことがくやまれます。
ところで、この本はご存知ですか。
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31929097
作者は正規の美術教育を受けているのでアウトサイダーでは全くないのですが作品自体が、なぜかアウトサイダーアートを連想させます。病気の兄のことを描いた自伝的作品で、その兄との精神的な距離の近さがそういう連想をさせるのかもしれません。
Claraさん、こんにちは。
その本は知りませんでした。
アウトサイダーの作品の魅力というのは、言葉で説明するのは難しいですが、誰しも近いところに感じるような何かがありますよね。
情報どうもありがとうございます。