映画『スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー』

FrankGehry

ブログを何となく書かないままでいると、書こうと思っていたこともどんどんタイミングを失ってしまって、書きたかったことまでなんとなく忘れてしまう。そんな中に映画『スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー』についてのこともあったんだけれど、アンコール上映(8/24日まで!)されているらしいので、せっかくだからちょこっと書いてみる。

フランク・ゲーリー(フランク O.ゲイリー)という建築家の作品については上記の公式サイトでも映画中でも代表作のビルバオ・グッゲンハイム美術館が大きくフィーチュアされているので、見るのが一番早い。言葉で説明すると、かえって難しい(図面が一番難しい)。

映画の中で、それまでの美術館の外観からスーッと中へ入り相似するような印象を持つ彫刻作品にカメラを向けるシーンがあるのだが、その作品の作者のリチャード・セラとフランク・ゲーリーの関係に興味を持った。
リチャード・セラを乱暴に紹介すると、ただ弓形に曲げた巨大な鉄板を公共空間に設置する作品などで知られる彫刻家。有名なエピソードとして以下のものがある。

1981年、ニューヨークのマンハッタンの連邦ビル前広場に、巨大な鉄板をやや弓形にそらせた『傾いた弧』が設置された。ところが、ビルに働く人々のあいだから、景観の邪魔になる、それに、もし倒れでもしたら危険この上ない、と抗議の声が起こり、結局、作品は8年後に取り払われた。設置されていたあいだと撤去後に見た人によれば、もともとさびれかけていた広場が『傾いた弧』の出現によって活性化され、ダイナミックな環境に変貌していたのが、撤去後、もとの眠ったような空間に戻ってしまったという。

リチャード・セラ Richard Serra

映画の中では、よく喋るジュリアン・シュナーベルとは異なりセラ本人が出てくるカットは無いのだが、ゲーリーはセラの影響も大きく受けている。

建築家たちの20代東京大学工学部建築学科安藤忠雄研究室でのレクチャー、トークをまとめた『建築家たちの20代(1999年)』に収められているゲーリーの回(1998年10月29日)ではセラのことにもいくつか触れられている。

 当時(ゲーリーが初めての作品を手がけた1962年)、ちょうどルイス・カーンが非常に有名になりつつある頃で、彼の存在を無視するということはできませんでした。私はまたミニマリズムにも興味を持っていました。ジャッド、カール・アンドレ、スミッソン、そしてセラなどの作品ですね。

建築家たちの20代 p.126

リチャード・セラが巨大なスティールを取り扱っている様、ロバート・スミッソンが土を盛り、動かしている様、マイケル・ハイザーがアメリカの砂漠の巨大な一角を完全に変えてしまっている様は、私の心の中で強烈なイメージとして残っていますし、その作業自体が非常にパワフルであり、一瞬も目を離すことの出来ないものでした。

建築家たちの20代 p.130

建築というのは、アーティスト、例えばリチャード・セラが煩わされなくてもすむようなことをもうひとつの複雑性として抱え込んでいると言えるでしょう。もちろん、セラには、私にない、別の対処しなければならない問題があったのでしょうけれども・・・・・・。

建築家たちの20代 p.132

アーティストの友人たちからの影響や、サポートの大きさについて、ゲーリーは映画中でも何度も述べている。またゲーリー作品の特徴は素材を強調した表面だけにあるわけではないけれど、その部分に関してセラ、ジャッドの影響が大きいのは確かである。彫刻家として彫刻に、建築的なスケールと「サイト・スペシフィック(その場のもつ力、特殊性)」を持ち込んだセラと、建築家として常に異端として自分を感じ、アーティストたちと関わってきたゲーリーのそれぞれの「対処しなければならない問題」というのがどこにあったのか、それはどう変わってきたのか、その辺りを考えるともっと面白くなってくる。

フランク・ゲーリーの頼りないひょろひょろっとしたとてもそれが建つものになるとは思えないスケッチを着想点にもつこの映画もやはりフランク・ゲーリーという建築家の断片のスケッチをまとめたものに過ぎない。しかしそのスケッチを具体化して詰めていくのは、もうゲーリーのスタジオのスタッフではない。

あまりこれも触れられず、気付かない人も多そうだが、この作品のエグゼクティブ・プロデューサーに「ヒロ・ヤマガタ」の名があるのも忘れないでおきたい。

スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー
Bunkamuraル・シネマ 8月24日(金)まで

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