「記憶に残る」「触る」リアリティ- 『記憶に残るウェブサイト』


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記憶に残るウェブサイト [トップクリエイター10組へのインタビュー集] 記憶に残るウェブサイト [ トップクリエイター10組へのインタビュー集]
【対談作家】
中村 勇吾 / 長谷川 踏太 / レイ イナモト / エキソニモ / セミトランスペアレント・デザイン / 伊藤 直樹 / 田中 耕一郎 / 西田 幸司 / 鎌田 貴史 / 鹿野 護

続き。
ここでインタビューを受けている作家の多くはいわゆる「WEBデザイナー」ではなくて、ウェブだけで完結しないものであったり、ウェブの体験や関係性などを時にはテクノロジーや「メディアらしきもの」さえ使わずに実際の空間の中で扱っている。

ネットでできることというのは全て、そういうリアリティを具現化してあげるようなことなのかなと思っているんだけど、基本は物事に触れる、触るということが大きいから、その触るという行為に対してどういう風に設計するかということはあるかな。

P.103 伊藤直樹

ウェブでの表現に関わらず、「メディアアート」が現実のリアリティの再現でしかないのであれば、やはりそれはネガティブな意味での「バーチャル」にしかすぎない。センサーをあちこちに配し、「触る」ことをバーチャルに実体験させる、リアルな事象のデータを可視化、可聴化して見せる。それはゲームとしては面白いかも知れないけれども、クリティカルなものは何もない(そもそも求めていないのかも知れないけど)。

10組があげている「記憶に残るウェブサイト」にはそれぞれの自作や実験的なもの、多層的なデザイン表現されたものなどが多いが、意外なのは”del.icio.us“があがっていること。

他のサイトの多くはその「体験」が印象的な数回のコンタクトだったり、既にオフラインになってしまった過去のコンテンツだからこそ「記憶に残」っているわけなんだけれども、”del.icio.us“は自分も現在進行形で利用しているので、違和感はあるものの、ここで「記憶に残る」としてあげているのが中村勇吾さんのコメントを。

これは、表面的な表現が豊かなサイトと対極にあって、でも本質をついているようなところが、最近のサイトの中でも一番カッコいい例だと思いますね。

P.25 中村勇吾

人間が集めて、各個人個人がフィルタリングした「情報」がミニマムなデザインの中で繋がりと関連性を気づかされていく。それは静的な体験ではあるのだけれども、確実にウェブのページの向こう側をイメージさせてくれるものだ。

基本的には、ウェブは1人で見ているわけで、画面の向こうに人がいるとしても基本は個人的な経験だと思うんです。だからこそ、夜中に1人で、みたいな出会い方で、突然作品と出会うことができる。ところが現実であれば、展覧会はみんなと共有する場だし、そこにわざわざ行って美術館の扉を開けてようやくアートに会うことができるわけで、パブリックな意識に切り替わるから全然違う。

P.78 エキソニモ 千房けん輔

後半、アートと展覧会に関してはそのまま全部受け取ることはできないけれども、「体験」としてのウェブと展覧会での出会い方や意識の違いというのは共感できる。”del.icio.us“の距離感というのはとてもウェブらしいリアリティだと思う。

準備があった上で出会うものと、不意に出会うもの。期待と伏線と脱線。
情報を記録し、整理していくことで、物事や関係までをコントロールしたいわけでなくて、もっとその先でいい意味でコントロールしきれない体験や、暴走する何かを自分は求めているのかも知れないし、自分にとってのアートというのはそういうものなのかなと感じたりもした。それはウェブでも日常空間でも別にどっちでもいいんだけれども、やっぱりその体験のダメージは身体的に感じられるものでありたい思う。

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