星を数える人と星座を描く人

数学ガール/フェルマーの最終定理数学ガール フェルマーの最終定理
結城 浩 (著)
ソフトバンククリエイティブ(2008/7/30)

二乗すると-1になる数、±i。その i が "imaginary number" の頭文字ということを今まで知らなかったような気がする。忘れていただけなのだろうか。

「・・・・・具体的すぎると本質を見失う。虚数のことを imaginary number というけれど、虚数に限らず、すべての数は想像上(イマジナリー)なのかもしれないね」

数学ガール フェルマーの最終定理』p.172

以前ここでもとりあげた『数学ガール』の続編(Stolen Moments: 『数学ガール』を読んで諸々(学ぶこと))。

今作ではピタゴラスの定理、素因数分解から複素平面、そしてフェルマーの最終定理まで扱っているのだが、実はどれもが繋がっていて、別のものだと思っていた二つ(あるいは三つ)のことが同じものの別の側面だというのを発見する、そんな一冊。

各章の冒頭で引用されている宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の節とともに特に印象に残ったのは代数と幾何の二つの世界を表した星を数える人と星座を描く人というくだり。《方程式の解を調べる》ことと《物事を図形的にとらえる》ことは方法こそ異なるけれど、見ようとしているものは同じ。そのことは本作の通奏テーマにもなっていると思う。

"imaginary number", 数学というと思い浮かぶアーティストに木本圭子がいる。

プログラミングから生み出されたドローイング。彼女の代表作には"Imaginary Number"というシリーズがある(Webサイトでも少し見ることができる)。「コンピュータのなかに一種の自然現象をつくり出しているのだとしたら、それは外部の自然現象じゃなくて、自分を含んだ形の自然現象のことなんです。」という木本は再現性、シミュレーションについてこう語っている。

花火のシミュレーションというものがあるんですが、たしかに火薬が弾けてそう散るのはわかるんだけど、私たちがいっている花火というのは、日本の湿気の多い夏だとか、浴衣を着た体験だとか、そういうことと視覚的なものがいっしょになって花火なんだと思うんですよ。火薬のひとつまでが再現されていてもね、と。

木本圭子 –エロスと運動のダイヤグラム
  『アーティストは境界線上で踊る  斉藤環』

絵を描くためにキャンバスを張る、イーゼルに向かう。
絵を得るためにプログラミングをする。
砂を数える。
日なたと日かげの境界をトレースする。

星を数える人と星座を描く人が導き出したいもの。

その手がかりは違うかも知れないけれど、アーティストもそうでない人も本質的に求めているものはそんなに変わらないのではないかな、と思う。

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