右は雑誌「STUDIO VOICE(発行INFAS)1995年4月号で特集は『フルクサス発 -インターメディア・アートの出発点から』。室井尚のテキストから中村さんによるザ・ギンブラート&新宿少年アートのレポートまで内容はとても充実している。95年といえば、日本のインターネットはまだ黎明期。「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書」の年表より当時の参考になりそうなトピックを抜き出してみると、
- 1995(平成7年)
- 01/01 日本IBMのウェブサイト開設。
- 01/26 富士通「Info Web」のウェブサイト開設。
- 03/02 米「Yahoo!」開設。
- 03/20 オウム真理教による地下鉄サリン事件。
という年。一部の大学や企業にいる人を除いて多くの人はインターネットに直接触れてなかった頃だ。この号の冒頭で室井尚はこう書いている。
ハーモニアスな感覚統合しか目指さない「マルチメディア」や、等質なシステムの上に構築された「インターネット」が今の話題の中心である。だが、そこはフルクサスの「インターメディア」がもっていた大事なものが抜け落ちているような気がしてならない。あらゆる異質なジャンルの中に新しい組み合わせを作り出すこと、出会いを作り出していくこと、要するにハイブリッドでルートを欠いた軽やかな(そしてブルトン的な意味で「痙攣的」な)知をディジタル・メディアの中に導入していくことが必要なのである。その意味で今時代はフルクサスなのだ。
ディジタル・フルクサスに向けて(STUDIO VOICE Vol.232 1995年4月号) /室井尚
初めて「フルクサス」と名付けられたコンサートが開かれたのが1962年、インターネット黎明の1995年、そして現在。インターネット状のコンテンツがどんどん拡大していく2006年に、一体フルクサスから何を学べばいいだろうか。
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