カエターノ/表現のフォーム、言語

Caetano Veloso / a foreign sound (カエターノ・ヴェローゾ/異国の香り)の本人による解説、あちこちから抜き出されたミュージシャン達の言葉が面白い。輸入盤でも読めるが、自信ない人は日本盤の訳で。いくつか抜粋。

フランク・シナトラ:
 ”ロックン・ロールはインチキ臭いしうそ臭い。そのほとんどはマヌケどもによって歌われ、演奏され、描かれている。しかも、愚かな反復と悪賢くて(sly)猥褻ではっきり言うと軽蔑すべき歌詞によって、世界中の髭を生やした非行少年どもに、最も勇敢な音楽として受け入れられている。不幸にも私が耳にした、最も野蛮で醜くて、絶望的で悪意に満ちた表現形式だ。”
ジャキス・モレンバウム:
 ”アメリカン人は’愛のフィーリング’(’75年モーリス・アルバートのヒット曲。モーリスは生粋のブラジル人でブラジル録音。)が本当のアメリカ音楽だと思っている。おまけに飛行機を発明したのはライト兄弟だと思っている。”
カエターノ・ヴェローゾ:
 ”イヴァン・リンスがミュージックでニルヴァーナはクズだ。”

People all over the world would like to find a way of thanking American popular music for having made thir lives and their music richer and more beautiful.
Many try.So do I.

世界中の人々が、彼らの人生や音楽をより豊かでより美しいものにしてくれた、アメリカ音楽への感謝の方法を見つけたいと思っている。多くの人々がそのための努力をしているが、私もその一人である。
 ―カエターノ・ヴェローゾ

カエターノ・ヴェローゾはこのアルバムで、ブラジルを知らないアメリカ人によるエセブラジル”カリオカ”、ニルヴァーナの”Come as you are”を歌っている。

それで、カエターノによるニルヴァーナがまたいいのだ。「粋な男」は、60を過ぎているカエターノをおいては他にいない。

ブラジル人のカエターノ英語で歌う、ドイツ人のヴィム・ヴェンダースが英語で映画を撮る。それは日本人の僕らとはきっと意味が違う。日本人にとって、ロックもヒップホップもアートでさえも、それは英語であった。英語のものを日本語に置き換える作業、日本のものとして作っていくこと...

「例えばイタメシ パスタにタラコ足した メニューが定番と化した ごとく...」
  (リスペクト MC Shiroのヴァース)

表現の問題、フォームは本人が意識するにしろ、無意識であるにしろ、自分の根源的な土台である言語から離れることは出来ない。それはもちろん眼を内側に閉ざす事ではない。

アイデンティティを大事にすることと、オープンでいることは両立する、はず。

異国の香り~アメリカン・ソングス
異国の香り~アメリカン・ソングス/カエターノ・ヴェローゾ

リスペクト
リスペクト/RHYMESTER

*カエターノ・ヴェローゾ「a foreign sound」は日本盤、ブラジル盤、US盤で収録曲が違うので注意。
*ライムスターのこのアルバム発売当時の朝日新聞の記事のことを忘れてはいけない。

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2 Responses to “カエターノ/表現のフォーム、言語”

  1. tmykisb

    自分はあくまで言語はコミュニケーションのツールとしか思っていないのですが、これも以前終礼で話した「日本人は言葉を大切にしない」に由来するのかもしれませんね。

    特に大陸の人々は、侵略の歴史があったりで、言語への執着は我々とは全く違うと思います。国が消滅した経験を持つポーランド人達と話すと、そのことをヒシヒシと感じます。

    ブラジル人達が「ポルトガル」語を使用していることにも悲しさを覚えますね。

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  2. Kei

    ちょっと違うんですが、日本語の押韻であったり、「本歌取り」は結構好きなんですけどね。HipHopのライミングやサンプリング、あるいはアンサー・ソング的なものとの共通点を感じた時に前より面白く感じられました。
    でも、それって日本だけのものでもなくて、欧米の文化の中にももちろんあって、動揺やジングル、コントなんかには今でも濃く残っている。ハンガリー語もそういう基準が強くあったり。

    言語への執着というのも、日本はよそからの影響をつい最近まで受けたことがなかったから、改めて意識することが少なかったこともあるのかも。近隣の国に、使用を強要してきたことはあるけれども。

    でも本当は、仮名も漢字もオリジナルなものではないのですけれどね。手塚治の「火の鳥」の太陽編(だったかな)は直接そういうことを扱っているわけではないけれど、初めて読んだとき、当たり前だったことをとても新鮮に感じられたのがとても強い印象として残ってます。

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