June 14, 2004

ラヂオ的感覚。  etc.

実家のお風呂でラジオを聞いていて考えたこと。
インターネットが普及して、最近、「ラジオ的感覚」ってあんましないなぁ、と思った。私はラジオを聞く習慣が今も昔もさほどなかったんだけど、中学生の頃、毎週欠かさず聞いていた番組があった。その内容はまぁいいとして。
ラジオはユラユラと漂う電波の波を自分でキャッチして聞くもので、インターネットと近いと言えば近い。でもラジオは、その時その瞬間を逃したらもう聞けない。番組の時間近くにスイッチを入れて(私はベットの中でイヤホンをして聞いた)、少しそわそわしながら始まりを待つのだ。毎週同じパーソナリティが一週間の中での出来事を話したり、葉書読んだり、音楽かけたり、時にはゲスト来たり…毎週変わらないと言えば変わらないんだけど、今日はどんな曲かけてくれるのかな、とか、常連リスナーからの葉書は今回はどんなネタかな、とか、ささやかながら期待感があった。
音の情報しかないんだけど、なんだか生っぽくて、リアルに繋がってる感じがあった。
・・・さて、どうmealに繋がるか…


そう、今回はどんなふうに楽しませてくれるのかな、っていう期待感。
イマイチって時もあるんだけど、かかった音楽がすごくいいとベットやお風呂の中の世界が変わるんだ。「ナイスセレクトだよ?!やってくれるね!」って、こっちからその世界観にハマりにいく感じが心地いい。ネットと違って対象との距離がはっきりしてるから安心してハマれるし、楽しめる。抜け出すのも簡単。あーまたこの曲聞きたいなぁーって思いながらあとから曲名思いだせなかったりして、体で感じた心地よさだけがなんとなく残る。
そういう感じがすごくいいなと思う。そういうものが作りたいなと思う。
.automealは、言わばラジオのパーソナリティーみたいなもので、毎回違う曲をセレクトしてかけるの。その時しか聴けない曲。美味しいときもあるし、そうでもないときもあるかもしれない。毎回味が違う。でも「色」みたいなものは、セレクトするもので見えてきたりする。あーまた味わいたいなぁーって思わせながらも、同じ味はニ度と味わえない。
毎回違う味のレストランなんてきっとダメレストランだけど、わたしたちは毎回場所や状況が変わる。その時その場所でしか、その場にいた人しか味わえない。ライブなんだ。そして食べるっていう直接的でリアルな行為。
お客を心地よく裏切りつつも、安心して楽しんでもらえて、またその感じを味わいたいと思ってもらえる、そんなもの、場所を作りたい。

そして同時に、カロリーメイトやカップヌードル的な、いつでもどこでも変わらない味っていうもの、味の典型みたいなものも作れたらすごいなって思う。
イブ・サンローランの最期の言葉、「一つだけ心残りがあるとしたら、ジーンズの様な洋服が作れなかったことだ」

・・・重みのある言葉だ。

投稿者 TN : June 14, 2004 2:45 AM

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